|
カテゴリ:世界史
14世紀の半ば,ヨーロッパを広く襲った疫病の流行によって,イギリスでも短期間に多くの死者が出た.流行が去った後に残されたのは,人口の減少による労働力の不足であった.直営地における労働を農奴に依存していた領主層にとってとりわけ危機は深刻であった.そのため賦役の強制や賃金の規制など(1) 領主層による反動が一時的に見られたが,土地に縛りつけられていた農奴も自由を得て,(2) イギリスではこの世紀中に農奴身分は消滅に向かった.
農民の中には土地を集積して富裕になる者,また土地を失って零細化する者が現れた.(3) 集団による協同耕作と,比較的均等な土地保有とに基盤を置いた伝統的な農業は,農村における階層の分化と競争の激化によって徐々に崩壊し始めた.散在していた農民の保有地も一箇所に集中されることが多くなり,そのような土地では占有を示す指標として周囲に垣がめぐらされた.15-16世紀に進行した囲い込みでは,労働力あり必要としない牧羊が主に行われた.囲い込みによって生計を失う農民も多く出て,(4) 人文主義者トマス・モアは,「羊が人間を食う」さかさまの関係をその著書で指摘した. 14世紀頃からイギリスでは輸出品の毛織物生産が増大していた.大陸の毛織物生産と対照的に,イギリスのそれは農村に展開した.そのため都市の( a )の規制を受けることなく,価格を低く抑えまた需要に応じて生産を拡大することが可能で,順調に成長を続けた.地主化した農民の中には,囲い込みによって原料である羊毛を確保し,同時に低廉化した労働力を組織して織布工場を経営するなどして大きな利益をあげ,さらに社会的な上昇をとげる者もいた. 彼らや,土地を購入した商人,あるいは官僚として王権に協力し俸給を土地に投資した人々など,この時期に出現したジェントリと呼ばれる新しい地主層は,この世紀以降はさらに土地集積を重ね,地方行政や国政においても大きな権力を獲得して,この国の寡頭的な支配体制を築きあげることになる.一方17世紀後半における( b )作物の導入に始まった農業の改良は,資本主義的な農業経営を導き,大規模な排水工事や土壌改良などを通じてさらに土地の収益をあげることになった.(5) 18-19世紀に実施された第二次囲い込みは,(6) 穀物生産を目的としており,産業革命期の増大する人口に食糧を供給することを可能にした. 設問(1)-(6) (1) このような反動に抵抗して,14世紀中頃にフランス北部で,また世紀後半にイングランド南部で起きた反乱を,それぞれ何というか? (2) 近世に入って,ドイツのエルベ川以東では逆に農奴制が強化された.このような農奴制に基づいて行われた,この地域における大規模農業経営を何というか? (3) 中世西ヨーロッパに特徴的な,この農業における土地利用の方式を何というか? (4) 大法官であったトマス・モアは,国王の政策に反対して1535年に刑死した.この政策は何であったか? (5) 第二次囲い込みを,第一次囲い込みと比較した場合の,本文に述べた意外の特徴を記せ. (6) 1815年に制定された穀物法には,安価な外国産穀物の流入をさまたげて,地主の利益を守る狙いがあった.外国産穀物の流入が予想された理由は何か? 【私的解答】 a. ?? b. 飼料 (1) ジャックリーの乱,ワット・タイラーの乱 (2) グーツヘルシャフト(農場領主制) (3) 三圃制 (4) 首長令(Act of Supremacy) (5) 集団農業から土地の私有化による国策的大規模農業への転換 (6) 工場労働者の賃金や生活費の高騰を抑制するため,安価な外国産小麦の輸入が求められた. 【解 説】 入試問題を扱ったブログでも難問とされた京都大学の世界史の問題である.英国の封建制から絶対王制,産業革命に至るまでの農業の変遷,土地の利用や所有に関するシステムの変遷を扱っている.私も難問と思ったが,駿台の解説では「標準」的な問題という評価であった.ちなみに駿台の解答では,a.はギルド,(6)はナポレオン失脚後の大陸封鎖令解除による穀物輸入解禁とあった.ちなみに私の解答は,『しげの世界史講義の実況中継』やWikipediaに依存する点が大きい.匿名の執筆者に敬意を表したい.この問題から英国の産業史を概観できて幸いであった. かつてロンドンからストラットホード・エボンまでの小旅行で,なにげなく車窓から眺めていたイギリスの農村や長閑な牧羊の風景に,歴史の重みが加わった気がした.世界史の勉強はおもしろい. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.26 07:30:54
[世界史] カテゴリの最新記事
|