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2014.10.05
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カテゴリ:ふるさと支援

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     「千葉になぜ出羽三山なのか」

1.はじめに
 今から40数年前に研究所(当時は中研、今の先進研)に新入社員として配属されました。
 その研究所の正門に向かって左手の大きな桜の木のそばに「出羽三山」と書かれた大きな塚がありました。
 そしてそこには地元の人たちが高い竹の上に紙垂という紙の飾り(正確には梵天という)を掲げて
 お参りする姿を見ていました。
 総務課の人に聞くとこれは「行人」という信仰で古くからあるので、研究所の敷地の中だけれど、
 その行人の行事の際には使用を認めているとのお話でした。
 現住の袖ケ浦市坂戸市場に30年前から住み始め、退職後にその地域のいろいろな行事に参加しています。
 その中で地域の公民館に「行人用」と書いた用具が大きな顔をして置かれているのにとても疑問に思いました。
 袖ケ浦市内のいろいろな地域を通ると、この出羽三山の塚が地元の神社と共に、多くの場所に見られ、
 三山参りは伝統的な行事と判りました。

写真1地元坂戸市場の三山塚.jpg
 (写真1 地元坂戸神社境内の出羽三山塚;梵天が見られます)
 今も年に「八日講」という数回集まりがあり、「出羽三山参り」に出かけ、行人の方が亡くなった場合には
 「行人仲間での弔い」が行われています。
 2014年2月28日にはNHKBSの新日本風土記「出羽三山」の放映があり、千葉県市原市に婿入りした
 北海道出身の青年が「出羽三山参り」をする姿が放映されました。
 今回知人の勧めで、千葉県の「出羽三山」信仰の起源を調査しましたのでその内容をご紹介いたします。

2.出羽三山信仰の歴史
(1)出羽三山の開山
  593(推古天皇元年)年に崇峻天皇の第三皇子蜂子皇子(弘海・熊除大師)が羽黒山に寂光寺を建立しました。
(2)江戸時代以前
  出羽三山奉納の羽黒鏡によれば平安時代から鎌倉時代にかけて羽黒山修験が多くの宗徒を擁し、
  修験者が全国各地を歩き、東北地方では信仰区域を霞場として認める免許状(霞状)を出していました。
  関東地域では霞場を檀那場と呼び、羽黒山の入会地としていました。
(3)江戸時代
  戦国大名による簒奪、徳川幕府による修験道法度による取締りに対し、羽黒山第50代別当の宥誉が
  1641(寛永18)年に上野寛永寺の天海僧正の弟子になりました。
  天宥と改名し、羽黒山は増上寺の末寺となり、江戸府内に居住する羽黒派修験の中から10人の老僧を取立て、
  関八州の里山伏として「奥の三山参り」を盛んにし、羽黒山から来る道者引きの行動取締りを許可されました。
  天宥別当は関東八カ国を別当寺の宝前院、羽黒山上の華蔵院等の七ケ寺の入会地として、各寺から
  先達(道者引き)を関東地方各地に派遣し信徒の確保に当たりました。
  その先達は「関東檀那場御祈祷帳」を携帯し、信徒にお札を渡し署名してもらい、その人たちを檀那としました。
  ■檀那場廻りのきまり
   ・2年おきに廻ること
   ・廻る期間は9月下旬から5月の晦日まで(山開きの前まで戻らないと罰則がある)
  ■丑年参り;弘法大師が833年(天長10年)の丑年に湯殿山を開いたので、この丑年に
   参るのは何倍もご利益があるとされていました。
   (現在は丑年参りに限らずに、毎年各地域からの参拝が行われているようです)
(4)現在まで続く檀家回り
  千葉県からの三山参りが現代まで続くのは宿坊による「檀家回り」が継続されたためです。
  市原市では羽黒山の宿坊大進坊と養清坊からの「関東檀家回り」が、大進坊は冬、養清坊は春に行われ、
  お札を配りにほぼ毎年同じ日に同じ地区に来ていました。
  千葉県の冬期間の回檀は今も続いており、毎年の登拝が続けられています。
(5)八日講
  出羽三山に行く前には「行屋」での事前の準備があり、三山参りをした「行人」は毎月八日に集まる
  「八日講」があり、寒行や大垢離が行われていたようです。「行屋」はなくなり、「八日講」は
  毎月ではありませんが、今も各地域の集会所で行われているのが、出羽三山参りが続けられている理由です。

3.まとめ
  千葉県の出羽三山参りは江戸時代から今に続く庶民の信仰で、羽黒山(山伏)の入会地檀那場と呼ばれる
  千葉県各地と三山の宿坊の密接な関係が今も続いています。
 写真2関東地域の最古の三山塚全景.jpg
  (写真2 関東地域最古の三山塚((1630(寛永7)年;湯殿山本地仏の大日如来像が刻まれています)
  これは江戸時代前期に幕府に認めさせた天宥という別当の政治力のおかげです。
  詳しくお知りになりたい方は次項の参考資料をご覧下さい。
 
4.参考資料
 (1)千葉県の歴史 通史編(近世 816-843頁)、別巻 民族編(400-410頁)
 (2)市原市史 別巻(752-763頁;出羽三山信仰)
 (3)出羽三山博物館資料「檀那場(関東地方)の出羽三山信仰の歴史」12頁


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最終更新日  2014.10.08 04:07:56
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