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2017.10.13
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カテゴリ:ふるさと支援

1.   はじめに

TVの水戸黄門漫遊記が武田鉄矢の水戸黄門で6年ぶりに再開されます。この漫遊記はNHKのブラタモリによると、水戸黄門の家臣たちが「大日本史」編纂のため、全国で資料集めに奔走したのが、水戸黄門さんが歩いたとなったのです。実際の水戸黄門・徳川光圀公は江戸城に滞在しており、水戸に戻った際も、現在の茨城県内の調査以外には出かけていません。

唯一の旅は、47歳の時に水戸から千葉市を経て、内房の海岸伝いに安房湊に行き、そこから鎌倉のお祖母様の墓参りに出かけた旅日記「甲寅紀行」です。

 

2.   甲寅紀行の「袖ケ浦」部分は坂戸神社が中心

 水戸から鎌倉までの「甲寅紀行」は変体仮名(タイトル部分写真右上(国文学研究資料館より))で書かれ、私はその原文を読みとくことはできません。1970年に出版された「水戸義公全集」の中に現用字体で全文が掲載されています。その中の袖ケ浦市を旅した部分は前日泊まった姉ヶ崎の妙経寺を出て、東京湾を眺めながら、久保田村、蔵波村、奈良輪村を経て、市場村に入ります。その坂戸市場の「天岩戸伝説」を含む義公全集を参照し、現代風に書き下した文を掲載(写真左上)しました。 



 

3.   甲寅紀行の坂戸神社に関する記載を歩いてみよう

 坂戸神社の中を水戸黄門さんが甲寅紀行で述べている通りに実際に歩いてみましょう。水戸黄門が東京湾を見ながら歩いてきた旧国道16号線は現在の県道です。袖ケ浦駅を木更津側に歩くと、海側には市役所があります。そこと県道を挟んだ山側の小高い山が坂戸山です。

そこには坂戸神社があり、手力雄命を勧請しています。天岩戸が坂戸山に落ち、それが巽の方向に流れ落ちたのが浮戸川です。東北の方向に小さな村があり、そこに次郎丸という二番目の岩が落ち、その場所は現在「ジロマンド」という堤(写真左下)の名前として残っています。

神社の近くの「カノ」という村の記載があり、それは現在の神納で、水戸黄門の訪問時には八剱池とか蛇堀があったとされ、古老の人たちは、昔坂戸神社の南の市民会館が建っている場所に沼があり、そこで魚釣りをしたと言っています。

坂戸神社で6月27日に行われていた大祭は新暦で7月29日になり、今もにぎやかに夏祭りが行われ、昔から伝わる神楽が奉納されています。その夏祭りの様子を明治43年に描いた古式絵図があり、夏祭りに近隣からお神輿が集まり、大変にぎやかで人々があふれています。

金勝寺は坂戸神社の神宮寺で、現在も木更津万石に坂戸山金勝寺があり、近隣の方の信仰を集めています。

神社の木更津側からの入り口の鳥居には坂戸明神という額が掲げられ、水戸黄門さまが見てから何回も建て替えられたのか、今あるものはとても新しく見えます。

市場村の端には馬の鐙にかかるほどの水量の市場川(現在の小櫃川)があり、そこを渡ると吾妻村になり、木更津で休んだとして、甲寅紀行の袖ケ浦坂戸神社の記載は終わります。

 

4.   坂戸山に残る遺跡など

 袖ケ浦市を構成する袖ケ浦台地の西にある坂戸山に登ると東京湾が一望でき、社殿に向かう参道の左側には古墳時代に作られた前方後円墳があり、東側には円墳があります。

坂戸神社の本殿は垂仁天皇の遠裔とあり、日本武尊が東征の武運長久を奉幣したとの伝承もあり、日本武尊の妃弟橘姫が東京湾の荒波の中に身を投げて、その袖が流れ着いて、今の袖ケ浦市の由来になっています。隣村の吾妻村の吾妻神社には妃の櫛が祭られています。

 坂戸神社は東京湾から見ても一段と高い場所なので、この神社は坂戸市場区だけでなく、木更津市に属する旧12ケ村の守り神になっています。これはこの地域の漁師の方が、坂戸山を目印に漁をしていたからです。

 坂戸山の南側には「天岩戸伝説」を示す「天磐戸」という石碑(写真右下)が建っていますが、その詳しい製作年代は刻まれていません。

 また坂戸神社を含む坂戸の森は昭和50年に千葉県指定の天然記念物になりました。京葉地帯最大の広葉樹林として、スタジイ、マテバシイ、タブノキなどの他では珍しい草木がたくさん残っています。

 

5.   まとめ

 水戸黄門さんが千葉県を旅したことは地元史に関心のある限られた人にしか知られていません。さらに私が住んでいる袖ケ浦市坂戸市場に来たことは地元の区民のほとんどが知らないのはとても残念です。

 現在いろいろな場面で「まちづくり」が語られていますが、地域の古老の方からその地域に住む子供たちへの伝統・伝承などの地域の歴史が語られる機会は少なくなってきています。今の古老の人たちが子供だった頃にはおじいちゃんと孫の間で昔からの遊びや、お祭りの神楽・笛太鼓が伝えられていました。それらを何らかの形で伝える努力をしないといけない時代です。

 私は水戸黄門が触れた坂戸神社だけでなく、ここでは触れられませんが、この神社に関する遺構などの写真や地域の先輩や市の生涯学習課や博物館の方の話も不十分ながらもまとめました。それが時代を担う子供たちやふるさとの歴史を知りたい人の一助になればと思っています。

 

6.   主に参考にした資料など

(1)         水戸義公全集 徳川圀順(1970)

甲寅紀行  国文学研究資料館

(2)         袖ケ浦町史 通史 下巻(1990)

(3)         市民のための袖ケ浦の歴史(1992)

(4)         千葉県指定天然物 坂戸神社の森 自然観察ガイド(2005)






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最終更新日  2017.10.13 05:04:24
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