PTA新聞をデザイン
小学校で避けられないのがPTA役員。クラスに学級委員2人、専門委員2人、合計5人の役員が選出される。そのほかに地域委員など。一度なったらそれ以降の学年は免除されやすい。私なりの確立の計算をすると6年間、免れるのはクラスで5人位。さらに兄弟児のクラスでなったりする方をはぶいていくと、免れる確率がさらに低くなる。しかも、「仕事は理由にならない」と言われる。どこかでかならずならなければいけない。私のように気が弱く、もろい人間は6年間「役員免れサバイバル対会」を勝ち抜いていく自信がない。どうせなるなら得意分野かな。。以前、印刷会社に派遣で一ヶ月勤務したことがあるがどこの学校の広報紙も堅い。印刷会社の上司から言われるままにデザインしていた経験がある。教育関係のPTA新聞は堅くて当たり前と思っていたから、学校側と戦ったり、上司に訴える情熱もなくなにも変えたりはしてなかったという記憶が蘇る。うちの息子の学校のPTA新聞もモノクロでお堅い印象。そこで、一度くらいは広報紙を面白く読みやすいものにしてみたいという願望がよぎったのは今年のはじめだった。しかしながら、その時は広報委員に自らなるにはちと難しいということを知らなかった。皆が嫌がる役だから簡単になれるって思ってた。システムとしてはまずクラスの中から委員長、福委員長、専門委員の2人、選考委員と5人選ばれる。自薦、他薦は問わない。立候補がなければクジで決まる。専門委員からさらに三つの役が決まる。そのひとつが広報委員である。ラッキーなことに、2年の新しいクラスでは学級委員、福学級委員は誰かが立候補していた。のこりは3人。しかも選考委員になるのは避けたかった。専門委員に手をあげた。何も知らず、「私、広報委員になりたいんですと暴露。」しかしながら、それは後の学年の話し合いで決まりますと言われた。専門委員に私を含め3人手をあげた。え?なりたい人は3人いたんだ。意外と皆積極的だなと思った。どうやら専門委員の中で保険委員というのがあり、わりと楽らしく人気が高い。じゃあ、じゃんけんで決めて下さいと言われた。一番に勝った。圧勝だった。もう一人決まった。私以外の二人は知り合いらしかったから譲ろうかしたけど「どうせ、バラバラの役になりますから気にしないでいいですよ」と言われたので譲らないことにした。それから学年で広報委員、保険委員と成人教育委員と決めなければならなかった。広報委員は人気がないと聞いていたのでなる自信があった。しかし広報委員に手をあげたのは3人。枠も3人。ギリギリセーフ。こうして広報委員になることが出来た。そして次なる難関は6学年のうち、さらに学級委員長、福学級委員、書記と3役を決めなければならなかった。広報誌は変えたいけど、面倒事は嫌だった。広報委員の18人の中から3人が選ばれる。私は普段からクジ運がないので自信があった。見事にハズれ、平社員の座を勝ち取ることが出来た。そうやって手に入れた広報委員の座。どうせ、レイアウト決めるまでが仕事。それにこんなに沢山いるだし、口出だけすればいいと簡単に思ってた。ところが、1回目の定例会でデザイナーということが分かった時点でデータ入稿すればその分料金が安くなるからカラーに出来る!という理由から私がデザインすることになった。まあ、自分でやっちゃった方が早いか。。。そう思って好きなように作らせてもらった。表紙はは1年生をテーマに貼り絵にした。貼り絵は自ら、フェルトや紙をアナログにはさみで切って貼った。旦那からフォトショップでで貼り絵風に加工できるのに何故わざわざアナログ式なんだと笑われた。小学生らしくちょっと下手感を出したかった。私のもろ、不器用さが出た。でもそれが狙いだった。美しく作りたいなら他の器用な方に頼む。でも、目やらまつ毛は切りながら後悔した。折り紙はすべて広報委員の一部の親子で折ってもらった。皆、素晴らしい腕前だった。お子さん方も可愛く折ってくれていた。そしてその中にセイイチローのヘラクレスや旦那のカマキリやくわがたの作品もまぎれている。折り紙にしたわけは立体感はもちろんだがみんなで頑張った感を入れたかった。私は不器用な上に性格的にしつこいので納得する朝顔になるまで折り続けた。そのせいか皆が他の作品を次々と折っていく中、一人私は朝顔しか折れてなかった。堅くなりがちな校長先生やPTA会長の挨拶をどこかに入れなければならなかったので、この地域の象徴である地下鉄に入れ込みイラストに顔だけださせて手ふらせた。ふざけているかなと思ったが意外とここがPTA運営委員会から人気があった。今回は「親子で楽しめるPTA新聞」とういうのがテーマコンセプトだったのでそれを象徴するように次ページの先生紹介のページははすごろく形式にした。子供も一緒に先生の顔と名前を覚えられるようにしたかった。学校側は以外にも理解があり、このにぎやかな新聞はデザイン面で誰にも反対されず、スムーズに発行までに至った。ただ、入稿時に何故か急にネットが繋がらなくなり、データー入稿するのに困ってしまったことを除けば。発行後、嬉しいメールがきた。広報委員のお母さんの一人からだった。「すごろく、大盛り上がりです。さいころが見当たらないからと、娘は画用紙を切って手作りし、年中の弟と12回戦まで戦ってました。すてきな広報紙をありがとうございます。」と言われた。嬉しかったのでお礼のメールをすると今度は「今日お友達が遊びに来た時も、すごろくしたんですよ。自分が作ったさいころでは、なぜか6の目ばかり出るのでサイコロキャラメルを買って準備する力の入れようです。娘がしみじみと、『知らない先生の名前が覚えられるから、ずっと大事にしよう』と言うのを聞いて、大成功だなと思いましたよ。」と返ってきた。確かに私が作ったすごろくはゴール間際でスタートに戻されるというえげつないコマがありそれが子供の心に火をつけたのだろうか。(6年生のお子さんに付き合わされ、そのコマに2回もひっかかった広報委員の大人Kさんも存在しているが)私的にはすごろくは1回やったら飽きるだろうと思っていたが意外とハマった方の話を聞く。予想以上に良い展開になれたことがとてもうれしかった。私自信、何かを企画してそれを成し遂げたことが人生の中で少ない。少ないというか、年をとるごとに流されっぱなしで、流れてきたものをうけるという感じ。自分から動ける人間になりたかった。だから今年は今までちょっぴり違うなと少しだけ、思うのであった。