今日は、十条のお富士山の夜宮です。朝からそわそわしていて仕事どころではありません。
薬局の方は、赤羽台なので、ご近所のかたがたは、いつもどうりの生活です。自宅のほうでは、朝から、子供たちが集合時間を決めています。
夕方からは、浴衣を着た婦女子たちが、下駄を鳴らしてお富士山に向かいます。
小学校のころ、友人たちと、銭湯で待ち合わせ、体を清めてから夜宮へ行きました。昔は12時すぎても露天に人どうりが途切れなかったものです。今はだいぶ時間が短くなりましたが、人どうりは、9時くらいまでは、かなり多いです。
この日だけは、親も遅く出て行くのを許してくれていました。
雨降らないといいなーちなみに明日も露天が出ますが、早くしまいになると思います。
参考に
十条冨士塚(じゅうじょうふじづか)は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士信仰にもとづく祭儀を行って来た場です。
現在も、これを信仰対象として毎年6月30日・7月1日に十条冨士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、頂上の石祠(せきし)を参拝するに先だち線香を焚きますが、これは冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。
塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、30数基あります。銘文(めいぶん)によれば遅くとも、天保11年(1840)10月には冨士塚として利用されていたと推定されます。
これらのうち、鳥居や頂上の石祠など16基は明治14年(1881)に造立されています。この年は、冨士講中興の祖といわれた食行身禄(じきぎょうみろく)、本名伊藤伊兵衛の150回忌に当りました。石造物の中に「冨士山遥拝所再建記念碑」もあるので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行われ、その記念に建てたのが、これらと思われます。
形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の五合目近くの小御岳(こみたけ)神社の石祠を置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知られます。
北区教育委員会
冨士神社は都内七冨士巡りの1つ(十条冨士)としても知られる神社です。毎年6月30日と7月1日の「十条冨士神社大祭」は、「お冨士さん」と呼ばれ、たくさんの人や露天でにぎわいます。(北区HPより引用)
ということです。かなり盛り上がってますので、ぜひおいでください。
私も、仕事が速くかたずけば、ひめを抱っこして出撃していると思います。見かけたら声かけてくださいね!
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