なんかが街にやってくる
どうやら誕生日を迎えたらしい。「また?」「いい加減、マンネリじゃない?」「よく飽きないね」等々、ご意見も多数あるだろう。私だって、出来れば毎年違った報告をしたいものだが、如何せん誕生日というやつは、ぼんやりとしているだけでもやって来る。私は基本的に、来るものは拒まないタイプなので、誕生日のやつが呼び鈴を鳴らし、「来ちゃった」と、やや虚ろな目でやって来ても、追い返すようなことはしない。「まあ、入れよ。どうした、傘も差さずに。今タオル持ってくるから」と、なるだけ優しく扱う。時には、「何しに来た!」と追い返そうとしたこともあったが、基本的には、丁寧な対応を心がける。しかし、今日の誕生日はなんだか様子が違う。いつにもましてメソメソしているし、なかなか部屋に入ってこない。「どうした?何かあったか」なるべく穏やかな声で聞くと、誕生日のやつは小さく嘆息し、やがて訥々と話し出した。「僕、野間さんと居れるのはあと一年なんです。来年以降は、僕じゃなくて、三十代のやつが来るようになるんです。もうお別れかと思うと、寂しくて…」誕生日のやつはいまにも泣きそうだ。「そうかあ」何と声をかけたものか、私はなかなか言葉を紡げなかった。「今まで邪険に扱って、悪かったな。毎年、こんな私に懲りずにやって来てくれるお前には、本当に感謝しているよ」私は正直に、自分の思いを伝えた。すると、誕生日のやつはみるみる目を真っ赤にして、わんわんと泣き出した。どれくらい経っただろう。ようやく泣きやんだ誕生日のやつは、ぐずぐずと鼻水を垂らしながら笑った。「野間さんから優しい言葉が聞けただけで、僕は幸せです!ありがとう!」そう言うと誕生日のやつはすっくと立ち上がり、「じゃあ!」と片手を挙げて、部屋の外へと出て行った。部屋の中に一人残される。「おい!まだ今日は終わってないぞ!こら!仕事しろ!」私は誕生日を追いかけて、雨の中を走った。しかし誕生日の奴は思ったよりも足が速く、あっという間に見えなくなった。走り疲れて家に帰ってみると、炬燵の上に三枚の薄い紙が置かれている。「なんだ、これ…電報?」どこか、親戚に不幸でもあったのか。「チチ キノドク」とでも書いてあるのだろうか。余計なお世話である。と、良く見れば、差出人には、山田、水島、熊脇の文字。三者三様の(正しくは山田妹も入れて四者四様)『誕生日おめでとう』の文字が躍る。「ふむ。誕生日の奴、なかなか心憎い」電子書信が発達したこのご時世、アナログな電報など、結婚でもしない限り受け取る機会は無い。しかし結婚など出来そうもないので半ば諦めていたが、期せずして、誕生日に電報を頂く事になった。実に、喜ばしい日のである。三十路の道も、一歩から。虚仮の一念、いや、虚仮の一年。この一年は、自分のやりたい事をやる年にすると、電報を眺めつつ、固く誓った次第である。