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不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

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2005/06/20
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カテゴリ:日本旅行記
◇偶然ですが、義経上陸の地に昨年訪れました。
今は、海から遠い場所になっています。
浜辺はどこにあるのかと思いますね。
あまり思い入れは無かったですね(笑)。



源平合戦の屋島合戦へ行くまでの四国上陸のあらすじです。

一の谷の合戦後、屋島の平家を討伐しようとしましたが、当時の瀬戸内海の海上権が平家側にあり、源氏側の作戦がうまいことはかどりませんでした。
元暦二年二月に頼朝は義経に再度、平家討伐の命を下します。

元暦二年二月十七日、義経は四国に向かうために、摂津におりました。
その日は嵐のような北風が吹き荒れ、船を出しても波にほんろうされるので、船出はしばし待つことになりました。
軍議が行われ船の戦にはなれない源氏軍、そこで、あれこれと話しているうちに、軍艦で知られる梶原景時(かじわらかげとき)と義経は意見が対立しました。

その後、義経は嵐の中へ船を出しました。
折からの強風にあおられて、四国への到着は思いがけず早く、翌日の早朝には、阿波勝浦にたどり着きます。
150騎ほどの軍勢で出発をして、船に慣れていない源氏がどれほどたどりついたのでしょうか?
強風の中夜に船で進むなど、常識では考えられないし、船酔いもしなかったのかな?

道案内を買って出ました近藤六親家(ろくちかいえ)という者に、船が着いた場所を聞いた所、「勝浦(かつうら)」と答えました。
ますますわが軍の士気は上がり、「戦に向かうのに『かつうら』に着くとはめでたいことよ」と義経は、喜ばれたのです。

上陸後、近くの手薄になった平家方の城を攻略します。
現代の城のイメージと違うと思います。
義経は、矢を放った二十人あまりの兵の首を切り戦の神に供え勝どきを上げました。
「良い戦の門出になった」といいました。

一千にも及ぶ平家軍団を背後から奇襲しようと、屋島に向かいました。


つづくと思います。
(平家物語やパンフレットを参考にしました)





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Last updated  2005/06/20 11:49:57 PM
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