賀茂氏と秦氏31
秦氏が創建したとされる伏見稲荷大社のご祭神が、古代イスラエル人と関係が深い神々(人々)であった可能性について指摘しました。しかしながら、日ユ同祖論者らの中でこの神社が注目を集めているのは、「いなり」という言葉にあります。「いなり」は今日では「稲荷」と書きますが、おそらく「いななり(稲生)」の音変化ではないかとする説が有力です。その一方で、「いなり」は秦氏の氏神であり、最初は当て字で「伊奈利」と書いたのだという説も根強くあります。どちらの説にせよ、秦氏の氏神的な穀物神であったことは間違いないように思います。で、日ユ同祖論者らがこの言葉に注目する理由は、「いなり」が「INRI(いんり)」という頭文字から取ったのではないかと考えているからです。これはイエス・キリストのラテン語名称の頭文字を取ったもので、「Iesusu Nazarenus, Rex Iudaerorum」(ナザレのイエス、ユダヤ人の王)という意味だと言うんですね。秦氏がもし、ユダヤ的なキリスト教徒とも言える景教徒であったならば、秦氏の氏神がキリストであったとしても不思議はありません。すると、正統竹内文書の口伝でキリストであると伝わっている猿田彦(佐田彦大神)を祀っているのは、まさに秦氏は猿田彦がキリストであると知っていて、祭神として祀っていたということになります。ではなぜ、スサノオの息子である宇迦之御魂が主祭神にされているのでしょうか。これにはいくつかの解釈が可能です。たとえば、宇迦之御魂は穀物神であることから、別名で「御食津神(みけつかみ)」と呼ばれています。大気都姫(オオゲツヒメ)で説明しましたが、「みけつ」にも「月(げつ)」が隠されているように思われます。宇迦之御魂は「御月神」、すなわちツクヨミ一族の氏神という意味なのかもしれないわけです。あるいは、宇迦之御魂は「食糧大臣」という役職名、あるいは世襲名であった可能性もあります。ニニギの「天孫降臨」の功労者である猿田彦が、食糧大臣「御食津神」となったのであれば、矛盾しませんね。実際、『古事記』神話を読むと、アメノウズメとともに伊勢の地(五十鈴の宮)を任された猿田彦は、食物の管理と関係がある役職(伊勢湾での漁)についたかのような表現が見受けられます。また、猿田彦がスサノオの養子となり、宇迦之御魂になった可能性もありますね。そのスサノオにも、ツクヨミ一族の血が流れていたケースも考えられます。『古事記』では食物の女神オオゲツヒメを殺した(肉体関係を持った)のは、スサノオになっていますが、『日本書記』(一書第11)では食物の女神である保食神(うけもちのかみ)を殺したのはツクヨミになっているからです。宇迦之御魂が誰であったにせよ、宇迦之御魂の別名の御食津神(みけつかみ)を三狐神(みけつかみ)と結びつけて、キツネを稲荷神の使いとする稲荷信仰が生まれました。秦氏の氏神がキリストならば、ひょっとすると稲荷信仰はキリスト教信仰なのかもしれませんね。(続く)