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HANNAのファンタジー気分

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December 31, 2022
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カテゴリ:映画と原作
 1989年のSFX映画「バロン」をTV放映で久々に観ました。奇才テリー・ギリアム監督が当時の技術を駆使して再現した、ドイツの民話「ほらふき男爵の冒険」です。
 DVDの表紙はジョン・ネヴィル演じるイケオジ(イケジジ?)バロンに似ず格好良くないので、右の画像はブルーレイ版の表紙です。
 ジョン・ネヴィルのバロンは、原作本(何種類かあるようです)のドレーの描いたバロン像にほんとに似ていて、貴族的・紳士的、でもちょっと滑稽で色っぽい、何とも味のあるお顔。
 これは原作が、​貴族・紳士階級のサロン(クラブ)文学​であることにも由来するのでしょう。実在のミュンヒハウゼン男爵が自宅サロンで、いわゆる「トラベラーズ・テイル(旅のほら話)」を語ったのを、書き留めたそうですから。
 ほら話の内容は、シンプルで荒唐無稽、即物的だったりだじゃれだったり、今で言うと劇画調。男爵ったら、大砲の弾に乗っかって飛ぶし(このシーン、『ワンピース』にあったような)、目から火花が出るほどおデコを(わざと)ぶつけて、火縄銃に点火したり。くだらない作り話なのに、貴族的・紳士的に、品良く語るがゆえに、何だかだんだん聞き手は心地よくなってくるから不思議です。

 そして映画ではバロンの朗々たる語り、大見得切りなど芝居がかった立ち居振る舞いもすばらしい! ストーリーは枠構造になっていて、アナクロなお芝居からスタートするのです。張りぼての大道具、派手なメイク、題目はもちろん、ほらふき男爵の冒険。
 芝居が行われているのは18世紀(「理性の世紀」とわざわざ最初にことわっています)ドイツの小都市で、もうずっとトルコとの戦争が続いています。
 ・・・って、オスマン・トルコは18世紀ドイツに攻め入ったことないんですけど! 設定がハナからウソです! でもそんなことはいいんです。要は、(現在の某国々のように)戦火にさらされていても、否、だからこそ、人々は面白おかしい空想物語の芝居を好んで観に来るということ。

 町の長官ジャクソンは「理性」を体現するべく、戦時下の芝居を規制しようとしますが、そこへ本物のバロンが出現。舞台へ上がるや芝居をジャックして、トルコ皇帝とのエピソードを語り始めます。張りぼてや滑稽だった舞台装置や俳優が、バロンが優雅に身をひるがえしたとたん、鮮やかな実物(の映像)となってエピソードが展開していくのが、圧巻です。
 芝居をする人々と観る人々の気持ちが合わさって、奇跡が起こり、本物のヒーローを呼び寄せたんですね。「プリキュア」の映画館で景品のペンライトをみんなで振りながら応援すると、それにこたえてプリキュアが勝利する、あの感覚。

 でもエピソードを見ていくと、バロン自身よりその従者の面々の方が、超人的活躍をするのです。めっぽう銃がうまかったり、超高速で走れたり、息であらゆる物を吹き飛ばしたり、ものすごい怪力だったり。
 あと忘れてはならないのが、危機に駆けつける愛馬ブケファロス(もとはアレキサンダー大王の乗った荒馬です)。野性の象徴って感じです。
 これは、冒険物語にはよくあることですが、ヒーローにふさわしいスキルが複数のキャラクターに分化しているんですね。

 ところが理性の時代なので、人々は常識にがんじがらめに縛られていて、その結果バロンも仲間も年老いて、超人パワーも忘れられています(そもそも芝居になるってことは、有名だけど過去のものなんですね)。最初のエピソードの終わりに舞台が爆撃されて壊れ、バロンが死にかけるのもそのためです。
 彼を生に引き戻したのは、バロンの存在を信じるヒロインの少女サリー。彼女は町の救いを求め、彼を叱咤激励します。冒険に同行し仲間となって、若さや純粋さという、今の彼にはなくなったパワーを補充することで、彼を再び活躍の場に立たせるのです。

 二人は月世界、火山の地底、海の怪物の腹の中などへ旅し、配下の超人たちを見つけて連れ帰ります。どれも理性から遠い深層心理的な場所で、超人パワーはその深奥で忘れられていたのです。
 我々も、日常に疲れ果てたとき、心の奥底をさぐって、若い頃の気力体力、夢見た感性などを再発見すべきなのでしょう。

 物理的スキルは目立たないバロンですが、仲間を束ねるリーダーとして、精神的なパワーは驚異的です。まず、騎士道なイケジジなのですべての女性にモテます。話術もたくみだし、何より命をかけて勝負にとびこむ度胸と勇気、これが他の仲間のパワーを十二分に発揮させる原動力になっています。

 こうして小気味よくド派手な活躍でトルコ軍に勝利したバロンは、(ネタバレ→)しかし、凱旋行進のさなかに凶弾に斃れるのです。一転して涙のお葬式。
 ところが、ここでも芝居という枠組みが、最後をきっちりまとめてくれます。お葬式にバロン自身の語りがかぶさり、気づくと人々はずーっと彼のほら話を聞いて(芝居を観て)いたのでした! ヒーロー、奇跡の復活。我を忘れて没入する空想世界の効用は、戻ってきた現実をも変えることにあります。
 「Open the gate!」というバロンの呼びかけとともに、人々はジャクソンの制止を振り切って芝居小屋の扉を開け、町の扉を開け放ちます。こうして偏狭な心の扉をあけたとき、そこには敵はなく戦争もなく、大道具じみた異国風の天幕の残骸があるばかり。
 そして英雄バロンは一人、輝きの中にさっそうと去って行きます。心憎いエンディング!

 この映画の制作は非常に困難をきわめ、費用もかさんで、収拾がつかなかったそうですが、なるほど当時がんばったSFXもCG主流の今どきの映画と比べると古くさく見えます。けれど逆にそれが、アナクロ芝居の外側にさらに映画と観客というメタフィクションな枠組みを感じさせ、重層的な見方を楽しめると思います。
 つまり、バロンの芝居やバロンの物語によって目がさめた町の人々と同様、映画の観客も一歩引いた視点に目ざめることができます。
 戦争は心の中にある、と確かユネスコ憲章にありましたけれど、我々もファンタジーに学んで偏狭な心を開け放ち、友愛と平和を少しでも実現したいものですね。来年こそは。





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Last updated  January 2, 2023 01:05:00 AM
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