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テーマ:戦争反対(1190)
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岡倉天心から北一輝まで、あるいは晩年の広松渉まで、アジア主義は根強くあると同時に、これほど誤解を受けている主義も少ないと思います。
作家の小田実さんは近年、竹内好の考察に注目し、さらに面白い考察をしています(『戦後文学とアジア』毎日新聞社)。 竹内の主張を簡単にいえば「アジア主義の死滅こそが、大東亜共栄圏であった」ということです。 竹内好は、日本は欧米派が権力をとり、アジア派が反体制の立場に追いやられた過程を226事件を例に論じています。小田さんもそれに同意していますが、小田さんの考察はそこからさらに進み、主に東条英機を例に、日本のアジア主義は徐々に個人の主張及び主義(さらに言えば信念)ではなくなっていき、その主義ではなくなっていく過程と同時に、大東亜共栄圏が官僚制の産物となったと指摘しています。小田さんの指摘ではムッソリーニなどと違い日本のファシストは反体制の立場に立ったことがなく、結局、権力を持った官僚がその持ち場持ち場で「官僚的」に行動していっただけなのだといいます。 たしかに東条などは、(外国には通用しない日本の)法律に乗っ取って、自分の地位に相応の行動をしただけであって、何か確固たる主義があったわけではありません。そこでは当初潮流としてあったアジア主義は死滅して、官僚主義だけが浮き彫りにされていくのです。 日本は、時代遅れになった欧米の植民地支配ゲームにさらに遅れて参加し、イギリスがインドを苦しめたように近隣アジア諸国を苦しめましたが、重要なこととしては現時点においてそうした歴史的事象を振り返る際も、別に確固たる主義があるわけではないということです。 「「アジアの解放」の中でも、日本のアジア主義が一生懸命考えてきた中で一番薄められた部分だけを取っていく。西洋の部分でも、西洋の文明と正義の中で、本当に対決しなければならない"デモクラシー"などは放っておいて、西洋がインドをいじめた部分とか、そんなところだけをちょこちょこっと取ってくる。そして作ったのが大東亜共栄圏の構想で、それを官僚的に処理したと思うんです。」(小田実他『戦後文学とアジア』毎日新聞社) 第二次世界大戦において、日本が圧倒的な軍事力に破れたという事実を過大に捉え、現在も日本が軍事力(自国のであれ米国のそれであれ)に頼らなければならないと考えるのは、歴史を知らないが故のものですし、それは結局、一般大衆の自主管理能力のなさを証明するものとして受け取られ、結局は官僚制(現在も続くそれ)を助長するだけだのものだと思います。 石橋湛山が述べた植民地支配は経済的に見て損である、といった小日本主義であるとか、ガンジーのボイコット及び自立分散型生産様式の提唱、といった経済的分析に基づいた考察と同時に、アジア主義をはじめ、その思想史の原点を見直す作業が必要だということでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年10月22日 00時31分24秒
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