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カテゴリ:幕末・あらかると☆
石町の時の鐘とともに江戸に時を知らせた天龍寺の時の鐘
天龍寺の時の鐘は元禄13年(1700)ここを菩提寺としていた笠間城主牧野豊後守成貞により寄進されたもので、内藤新宿に時刻を告げた「時の鐘」である。 現在の鐘は銘文により元禄13年の初鋳、寛保2年(1742)の改鋳につづく3代目のもので明和4年(1767)の鋳造である 天龍寺の時の鐘は内藤新宿で夜通し遊興する人々を追い出す合図であり「追い出しの鐘」として親しまれ、また江戸の時の鐘のうち、ここだけが府外であり、武士も登城する際時間がかかったことなどから30分早く時刻を告げたという。 なんと、新宿時間なのね。 せっかく遊んでるところと他より早く追い出されるから「追い出しの鐘」といわれるとも言うらしい。 なお、上野寛永寺・市ヶ谷八幡とともに江戸の三名鐘と呼ばれた (案内板より) この案内によると鋳造は谷保村の関孫兵衛。 これは以前に甲州街道を歩くツアーで行った本田家の近くの関屋かなどこで作ったものらしい。 時代が違うのでなんとも言えないがこの関家は本田家の親戚に当たるので当然土方さんとも遠い遠い遠い親戚(←かぎりなく他人に近くない?)だよねv 新宿高島屋に程近い、けどあまり知られていないここ天龍寺には もう一つ面白いものがありました 「やぐら時計」 時の鐘とともにやっぱり牧野豊後守成貞が寄進したもので、この和蘭渡りの時計を元に鐘を撞いたという 時計は高さ103センチのやぐら方の台の上に乗っているため、やぐら時計と呼ばれる 文字盤は明治以後24時間制に取り替えられているが中央に牧野家の三つの柏の紋がついている ここ天龍寺はもと牛込納戸町にあり、江戸城の表鬼門鎮護の上野寛永寺に対し、裏鬼門鎮護の寺とされた。 ははぁ。だから本堂にばば~んと葵の御紋があるのか かなり目立つ; 最近立て替えられたようで見かけはとてもキレイですが、なんと古い建物をすっぽりと囲むように周りを作ったそうで中に入ると当時のままのふるーい、しぶーいお部屋が現れます。 う~ん、こういう風に残してくれるとうれしいよねvv お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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