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テーマ:♪♪祭りだ~♪♪(931)
カテゴリ:幕末・あらかると☆
あまりの暑さにとうとうクーラーの誘惑に負けてしまいました~
6月30日、7月1日の両日は富士浅間神社例祭である「御山開き」です。 「富士塚」好きな私としましては外せませんな。←そうなんだ ~小野照崎神社~ ↑中途半端に切れてるのはあまりにごちゃごちゃと埋もれてたので…。 すんごい狭い路地の間に入り口がありましたよ お~。お祭りっぽい 手前の「輪っか」が茅(ちがや)の輪。 茅の輪潜りとは…。 正月から半年間の罪や穢れを祓う夏越の祓い。 茅草で作られた大きな輪をくぐると疫病や罪が祓われるとされ、現在では疫病よけになると言い伝えられている。 まず潜ったら左回りに戻り、もう一度潜って今度は右、もう一度左。 もう一度潜って拝礼します。 拝殿の左側、提灯が見えるところが「富士塚」 さぁ。のぼるぞ ちょっと分かりにくいけど富士塚の石門には「万延元年五月再建」の文字が。 万延元年といえば1860年。土方さんは26歳。 大老井伊直弼が暗殺された年だね。 開山式として御假屋での神事の後、祓主を先頭に斎主・祭員・氏子崇敬者が列立し、「六根清浄」を唱えつつ、一合目から頂上まで登る。 頂上では四方祓をし、天下泰平・五穀豊穣と平和の祈りを捧げ、本山である富士山に向かい遥拝をした後に下山し、登拝を終える。(案内より) 富士山に似せて作られた富士塚にはちゃんと○○合目というのが全部あり、さまざまな「講」の人たちが奉納したらしいのが、沢山ありました。 富士塚を裏から降りたらこんな感じ。ただの「岩山」だな この富士塚は富士山から岩石を船積みして運び、隅田川から荷車でこの地に築山されたのが天明年間(1782)。 江戸に富士信仰を布教した「南沢正兵衛」の門人、「山本善光」が氏子のみならず江戸中に広く浄財を募り実現したものだそうです。 ものすごい時間と労力を思うと当時の人々の富士山への信仰心の力強さに改めて驚かされます (案内より) いただいた「案内」によると、この二日間だけに頒布される「龍神守」(水の神様。人間が生きる上で一番大切な水を安心して飲み・食べることが出来るようにするお守り)と言うのがあるそうなんだが…。 見つけそこないましたぁ←欲しかった…。 実は地元民だった母曰く、「昔はもっと広かった」というから、だんだん敷地も狭くなってしまったのかも。 それでもこうして大事に守ってくれるのは嬉しいことです。 この日は山開きとあって雅楽も演奏されなかなかイイ感じのお祭り気分でした ここ「小野照神社」の祭神は平安初期の漢学者で歌人の「小野篁(たかむら)」 現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で関東大震災も東京大空襲も免れた 他にも お百度石とか 稲荷社とか 当時からの庚申塔が現存。 お猿チャン。保護の為なんだろうケドなんとも無粋な…。 この町は空襲も免れたそうで、なかなか古いものが残っている モト地元民・母の案内でチラッとそんなのをさがしてみた 江戸時代から続くと言う提灯屋「五十嵐」 浅草の浅草寺の大きな提灯もココで作ったとか。 ここも江戸時代から続くかまぼこやサンらしいが、残念ながら店じまいだそうです…。 提灯屋さんとはどうやら縁のあるらしい蝋燭屋「吉田商店」 百匁蝋燭がありました。絵ろうそくはさすがにないかな。 こういう「現在」に溶け込んだ「昔から」は本にも載ってないし、やはり地元民の情報はうれしいですな。 ありがとうMY母。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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