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カテゴリ:会津への道
海防警備についていた関係で、斗南へ移った会津藩士の中には浦賀に居を移した方々もいたとか。
そのまま現在に至るまで浦賀にいる方も。 創業明治3年のお茶屋さん 「太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯でよるもねむれず」 と謡われた上喜撰はお茶の事。 その当時の味と同じお茶を造ろうとしているとかいないとか。 ~東福寺~ 幕府から御朱印地ニ石を賜り歴代の浦賀奉行も就任すると必ず参拝に訪れたという格式のあるお寺。 もちろん三郎助さんもお参りしてるであろう。 ここは浦賀へ移住してきた会津藩士たちとその御子孫の方々の墓所。 ものすごく見晴らしのよい山の上です。←つまり凄い坂をえんやこらしました。 なんでも東福寺の上人の庵があったところだとか。 この東福寺は他にも見所が。 まず鏝絵(こてえ) 日本で発展した漆喰を用いて作られるレリーフのことである。 左官職人が鏝で仕上げていくことから名がついた。 江戸時代中期から徐々に盛んになり、静岡県松崎町出身の名工、入江長八が鏝絵として芸術の域にまで昇華させた。 まるで木を彫ったみたいだけど漆喰なんだって。 こういう鏝絵、どこかで見たよね?どこだっけなぁ…。 もうひとつ。 鯉が龍になる 失敗3:ピントが彫刻にあってない… 気を取り直して解説~。 1.普通の魚→2.魚の顔が変化する→3.ひれが大きくなって…4.→羽根が生え足が生え龍に…。 というのを表してるんだって。 ピントがずれててみづらいのだけれど、本当に繊細な彫刻で龍になっていく姿が描かれているのよ~。 まだある 波を彫らせたら右に出るものがいないといわれた「波の伊八」の彫刻。 かの葛飾北斎の冨獄三十六景もコレをヒントにしたんじゃないかといわれるほどの出来です。 ナゼそういわれるかというと、この伊八サン、北斎より8つばかり年上で北斎はこの浦賀に来たことがあってこの東福寺の彫刻を見たのではないかと言われてるから。 北斎は日本で始めて「止まった波」を描いたと言われているらしいが、それが本当ならこの伊八サンが「止まった波」を見せたという事になるね。 うむむ。なんだか浪漫ちっくじゃね? モドル ツヅク 寄り道が多くてなかなか会津藩士墓所へ行けません お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月01日 23時54分28秒
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