カテゴリ:ドライブ
最近知ったことです。江戸時代の前に会津に移ってきた上杉景勝は新たな城の建設をしていたとか。 その名は「神指城(こうざしじょう)」と言うのだそうな。 一度訪ねてみたいと思っていました。 場所を検索して行ってみると、ナビから何もない田園風景が広がるだけの地域に案内された。 近くにあった案内板です。(画像をクリックすると大きくなります) 資料2:慶長3年(1598年)に会津へ移封された上杉景勝は、 会津盆地の東南隅に位置する若松城は拡張が難しいと判断し 慶長5年(1600年)2月に盆地中央で阿賀川畔の神指ヶ原に 新たな城の建設を家老・直江兼続に命じた。 兼続は弟の大国実頼を作事奉行とし、 慶長5年3月18日(1600年5月1日)から築城を開始した(本丸工事)。 神指ヶ原の13ヶ村を強制的に移住させ、領内から12万人(8万人説あり)を動員、 二の丸工事は5月10日(6月20日)に始まり、6月1日(7月11日)に 石垣、土塁、堀、門、などを完成させたが、 天守着工前に徳川家康の会津征伐により6月10日(7月20日)で工事は中断する。 以後、築城関係の工事は会津征伐軍の途上にある白河城の修築が優先された、 関ヶ原の戦いの後、慶長6年8月に上杉景勝は米沢へ移封となり、完成を待たずして 神指城は破却され、寛永16年(1639年)、藩主・加藤明成が石垣を全て若松城へ運び去った。 も少し整備されていると思いました。一部はゴミの不法投棄場所となっていました。 城跡といえば城跡となるのでしょうが、築城工事の痕跡があるというだけの場所のようです。 ちょっと残念でした。 まっ、興味のある方は行ってみて下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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