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テーマ:ニュース(99738)
カテゴリ:『日本文化主義』のニュースに政治評論
昨今のニュースは、韓国や中国に国政やら、どうにも腹立たしく、独立国として腑に落ちないことばかりである。侮られ過ぎである。漁船は拿捕し、震災した漁民に与えること。戦後の60年以上の長い反日教育によって日本国=日本人=悪人という短絡思考脳回路
そこで今回は、インドの真実の声を紹介する。 『インド』 ★ラッシュ・ビハリー・ボース(インド独立連盟の初代総統) イギリスを印度から一掃しない限り、日本の理想とする大東亜共栄圏の確率は不可能なのである。東条首相は深くこの点に艦みられ、去る二月二十六日シンガポールの演説に於いて、我々印度人に対し、一日も早くイギリスの束縛を脱却し、「印度人の印度」を建設することを要望された。 ここに東条首相の断乎たる印度援助の声明を聞くことを得て、実に天にも昇る悦びである。今こそアジアの復興する時が来たのだ。今こそ印度を復興する日が来たのだ。 (尋牛亭日常の考え方より) この言葉には、当時の世界の体様が集約されているように思う。 「アジアの復興」「印度の復興」という言葉には、単に民族としての歴史、伝統、文化を復興させるという意味以上に、植民地として支配されるという現実はつまり、このブログで何度も繰り返させていただいているように、東亜の人々が、印度の民衆が「人間ではなく獣と看做されていた」という現実からの脱却を意味する。 「俺たちは人間なんだ。人間としての権利があるんだ!」という主張だ。日本で「人権派」と呼ばれる人たちは、かつての日本を軍国主義といって批判し否定するが、その日本が、まさに何億という民衆の人権のために戦ったことは、まったく語ろうとも認めようともしない。 ということは、裏をかえせば「人権派」と呼ばれている者は、人権など実はまるで眼中になく、政治家でなく政治屋の党利党略自己顕示のためだけに、口先だけの「人権」を唱えていることになる。 ★A・M・ナイル(インド独立連盟の指導者) インドの独立はわずか、一、二人の人物や組織によって達成されたものではなく、勇敢な指導者のもとで、さまざまな状況の変化に助けられながら、それこそ大勢の人々が並外れた努力を払った結果だった。 状況の変化といえば、日本が始めた大東亜戦争も、それが日本自体にもたらした結果はともかく、そのひとつだったといえる。 日本は確かに敗北を喫しはしたが、イギリスの歴史家アーノルド・トインビーも、日本が西欧に対して戦いを挑んだことは、世界史全体の流れ、とくに東西関係のありかたに重大な変化を生じさせたと指摘している。西洋も、東洋をおろそかにすることはできなくなったのである。 日本が始めた大東亜戦争がその結果はともかく、植民地だったインドをはじめとするアジア諸国(アフリカその他の諸国にしてもしかりだ)の独立を早めたことは間違いないのだから、インドもその点については日本に感謝しなければならないと考えているのである。 インドはすでに述べたとおり、そのことを忘れなかったし、印日平和友好条約の締結に際し、日本に対して好意的だった。 (尋牛亭日常の考え方より) 文中にある「日本が西欧に対して戦いを挑んだことは、世界史全体の流れ、とくに東西関係のありかたに重大な変化を生じさせた。西洋も、東洋をおろそかにすることはできなくなった」というのは、実に重要な意味を持つ言葉である。 昭和20年9月に戦艦ミズーリ艦上で日本が降伏文書に調印したとき、重光葵(まもる)は、艦上に群がる多数の国々の代表団を見て、「ああ、日本はこんなにもたくさんの国々と戦ったのだなあ」と、おもわず涙をこらえたという逸話が残っている。湯河原温泉の家が重光記念館として資料を展示している。 このことをとらえて「だから日本は無謀な戦いをしたのだ」と書く本があるが、それは物事の本質を見誤った見解である。当時の世界は、西欧諸国が世界を支配していた。その支配に対して戦いを起こすということは、西欧諸国と、そこに支配された国々の全て、つまり世界を相手に戦いを起こすということだったのである。 当時の日本だって貧しかった。けれど、たとえどんなに貧しくても、日本が大慈悲と大義によって戦わなければ、世界の大多数の民衆は欧米の植民地のサルとみなされた奴隷のままであったし、日本がハルノートの要求に呑まれることは、日本が日本文明と日本文化を喪失し、日本人の9割までの人口を失ったことを意味した苦渋の選択だったのである。 だから、貧しくても戦った。腹が減っていても、どんなに辛くても戦った。それが誇り高き武士道というものだった。 ちなみに、この調印式に立った重光葵は、昭和七年に爆弾で足を吹き飛ばされている。 上海で行われた天長節を祝う式典の出来事で、爆弾は重光が壇上で天長節を祝う国歌斉唱中に投げ込まれている。けれど重光は、爆弾とわかっても、その場を離れなかった。 なぜなら、国歌斉唱中に動くのは不敬という認識だからである。 動かなかったのは重光だけではなかった。壇上にいた白川義則司令官、野村吉三郎司令官、上田謙吉師団長らも同様に、直立したまま君が代を斉唱し続けた。その結果、白川司令はお亡くなりになり、重光は片足を失い、野村司令は右目を失明し、植田師団長は足指切断という重傷を負った。これが、骨の髄まで人を愛し、国を愛し、人類の平等、人種の平等を唱えた日本の武士たちの姿である。 ちなみに、この事件で爆弾を投げ込んだのは、またまた韓国人でテロリストの名は尹奉吉というひきょう者であった。爆弾テロをするような卑怯者と、重傷を負っても尚、直立不動で国歌斉唱を行う誇りある皇国臣民の差はあきらかである。 反日韓国人には、とちらが人間として立派といえるのか、冷静に考える能力はなく、それほど民度が低いのである。分かりやすく換言すると、友好国として付き合う価値のない国と国民ということが分かる。それが分からないならば、自ら野蛮人、人間以下のケモノでしかない、ということを自覚することである。 中国が自分の国で好き勝手なことを言うのは勝手だが、俺たちは違うよ、と、インドの見識ある学者は明快に言い切っているのである。なぜ、サブラーマンヤムは、そう言い切ることができたのか。簡単なことである。それが事実だからである。 そして、前者の三国は、いずれもその論拠がデタラメであることは、世界の歴史学者が認めることである。いい加減、日本は目を覚ますべきなのだが、まだまだ米国の陰謀で官僚とメディアや既得権者が変化を望んでいない。 最後に、エジプトナセル大統領の言葉を紹介したい。『アジアには日本がいた。アラブには日本がいない』この言葉は欧米、特に米国にモハンマドをイスラム教を侮辱され、侮られているアラブ諸国の現実がある。どの国が大東亜戦争の時の日本になって挑むのか、それともアラブ諸国の枢軸国なのか、これからを注視したい。ビルマの言葉につづく(文責:尋牛亭日常) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年09月15日 12時10分54秒
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