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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2013年12月02日
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カテゴリ:言語学
 中日新聞に連載中の町田健氏による「現代日本誤百科」批判の19回目である。今回は、「お客さまが近づいていると」と言う表現をめぐる町田氏の見解を見ていこう。

 町田氏はこの表現のシチュエーションとして、「駅のホームで誰かが列車のあまり近くにいる場合、発車できない。この時、アナウンスに表題のような文句が使われることがある」と説明する。そして「まず問題なのは「お客さま」に対して敬語が使われていないことだ」としたうえで、「近づかれていると」と敬語にしても、「列車に近づいている途中なのか、近づいた後で止まっているのか、意味が曖昧なままだ」から、結論として、「お客さまが列車に近づきすぎていらっしゃると」のように言うべきだと断ずる。

 第1の指摘、つまり「お客さま」に敬語を使えという指摘は最もだろう。しかし、「意味が曖昧」は情況としては良く分からない。

 「列車に近づいている途中」でも、そのまま指摘しなければ「近づいた後で止まっている」状態になりかねず、どちらも危険と言わざるを得ない。結論として町田氏が述べた「お客さまが列車に近づきすぎていらっしゃると」のようにすれば、確かに「近づいた後で止まっている」方の意味だと分かるが、このアナウンスの表現者は、こうしたことを伝えたかったのではないように思う。

 「すぎて」いなくても危険は危険である。町田氏の最後の提案では逆に、「すぎなければいいのか」と反問されてしまうだろう。ただ今回は、全体として理にかなった解説になっていた。





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最終更新日  2013年12月02日 12時28分41秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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