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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2013年12月17日
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カテゴリ:言語学
 中日新聞に連載中の町田健氏による「現代日本誤百科」批判の27回目である。今回は「この分野におけます重要項目」という表現について考えてみよう。

 町田氏は「「~における」は本来、場所を表すが、そこから「この分野における重要項目」のように「~についての」という意味が生じた」と主張する。その上で、「「おける」は動詞の「置く」をもとに作られた表現だが、全体で一つの単語と同じようなものだから、形を変えることはできない」として、「おけます」を不適切だと断じる。あわせて、「荷物を置けます棚」という言い方ができなことを根拠に、そもそもこの表現は言うことができないと結論する。

 まずいつものように、「形を変えることはできない」というあたりが如何にも言語道具説的・形而上学的言語観である。「~についての」という表現との意味的類似性から、ッ表現を固定したものと考えるのは早計である。言語は言語規範を直接の基盤とする表現ではなくて、あくまでも生きた認識、その時々の対象から得られた認識をもとにして脳細胞に描かれた像をもとにした表現である。よって、言語そのもののみを対象として、それをごく一般的に言い方から形を変えたと捉えうることをもって、「できない」などと言えるものではない。

 「荷物を置けます棚」という表現が不自然なのは、それが如何なる文脈から切りとった部分であるかがよく分からないからである。問題の「この分野におけます重要項目」も部分を切り取った表現であるが、例えば国会の答弁等で、「この分野におけます重要項目を申し上げますと、まず第一に特殊鋼産業の成長戦略を如何にすべきか、第二に海外メーカーの成長力をいかにして我が日本産業に取り込むのか、云々」という、今でいう経済産業大臣の発言があり得るのではないか。

 そもそも「ます」は尊敬を表す主体的表現であって、表現者の認識が直接に表現されているものである。尊敬の対象は聞き手・読み手であって、もちろん「重要項目」を尊敬しているわけではない。「この分野における」と表現すれば、少し角語ったような印象を与えはしないか、考慮した末の「この分野におけます」であれば、全く問題ないし、理解にも困難はない。





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最終更新日  2013年12月17日 19時35分18秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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