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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2014年03月06日
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カテゴリ:言語学
 町田氏は日本語の「条件」を表すための表現の多様性に触れた後、「「京都へ行くのなら」だと、相手が京都に行くことが分かっているのが前提」だとした上で、「しかし、相手が「これからの提案を認める」という事柄は、まだ提案していないのだから、起きると分かっているということはない」から、「「~くれるのなら」を使うのは不適切だ」と主張する。そして、「「の」を取って「認めてくれるなら」にすれば、分かっていると言う前提はいらないので適切になる」と結論する。

 町田氏は一体何が言いたいのか。「起きると」「分かっているという前提」がなければ「~くれるのなら」という表現は使えないとはどういうことか。「万一、京都へ行くのなら、南禅寺に寄ってみたいものだ。」という表現があった場合、「相手が京都に行くことが分かっているのが前提」などと言っても、なんのこっちゃとなる。狭い条件で当てはまる事実を度外れに一般化しているから間違うし、分かりにくいのである。

 そもそも「起きると」「分かっているという前提」がなければ「~くれるのなら」という表現は使えないなどと言うのは、言語規範でもなんでもなくて、町田氏の単なる思い込みである。また、「これからの提案を認めてくれるのなら」という表現について言えば、「起きると分かっている」かどうか問題なのは、「認めてくれる」ことに関してであるが、なぜか町田氏はこの問題を「まだ提案していないのだから」と言うように、「提案」の方に関連付けている。「今説明した提案を認めてくれるのなら」という表現なら、「起きると分かっている」から「適切」だとでも言いたいのか。単純に論理が錯綜している。

 「の」を取れば「適切になる」などと言うのも、いかにも言語道具説的発想である。言語は取ったり付けたりするものではない。あくまでも創出するものである。ただ、町田氏が「「の」を取って「認めてくれるなら」にすれば、分かっていると言う前提はいらないので適切になる」と結論した根拠は明らかにできる。つまり、「の」はそれまでの表現を実体的に捉え返すという役割をもっているからである。「の」は〈抽象名詞〉であって、「これからの提案を認めてくれる」という行動に関する認識を、あたかも実体であるかのように、固定化して、捉えているのである。ここから、町田氏の主張になるのである。

 思うに町田氏は、「これからの提案を認めてくれるのなら」という表現に接して、「これからの提案」というまだ生じていない事態に対して、「認めてくれるの」という実体的な、確実なニュアンスのある表現が後続していることに違和感を覚えたのではないか。そこでその違和感を分析することになるのだが、町田氏の能力に規定されたその分析は、起きると分かっていることが提案についてなのか、認めてくれることなのか、錯綜したような珍解釈を提出するものになったのであろう。そもそもの土台が言語道具説では、というより言語道具説を受け入れている段階で、論理的な展開が不可能になるのである。





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最終更新日  2014年03月06日 15時33分46秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

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孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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