町田氏は「事故のけが」という表現について、「事故によって負ったけがという意味なのだろう」としながら、「「XのY」という表現を使うためには、XとYの間に必然的な関係があることが必要だ」として、「学校に行けば必ず成績が出るから「学校の成績」とは言える」が、「事故に遭えば必ずけがをするわけではない」から「「事故のけが」と言うのは適切でない」と主張し、「「事故によるけが」なら、因果関係が明確になるから適切な表現だ」と締めくくる。
「私の本」や「言語学の構築」という自然な表現は、「私」と「本」の間に必然的な関係があるとか、「言語学」は必ず「構築」されるものであるとか、そういう理屈で成立しているわけではない。「本」を所有関係とともに表そうとして、あるいは、「言語学」を対象として「構築」という状態にすることを表そうとして、それぞれ表現されたものである。すなわち、認識の表現として言語が成立しているのである。「「XのY」という表現を使うためには、XとYの間に必然的な関係があることが必要だ」などという理屈がどこから出てきたのか。
百歩譲ってそういう関係が必要だとしても、「必然的な関係」が「ある」と判断するのは個々の表現者であって、客観的にそういう関係があるかどうかとは別なはずである。だからこの表現者は「事故に遭えば必ずけがをする」と把握して「事故のけが」と言ったかもしれない。2重3重に変な理屈をこねるのはやめてもらいたい。そんな暇があったら言語の本質についての学びを1から始めるべきだ。
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最終更新日
2014年03月13日 13時56分30秒
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