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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2014年03月13日
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カテゴリ:言語学
 町田氏は「事故のけが」という表現について、「事故によって負ったけがという意味なのだろう」としながら、「「XのY」という表現を使うためには、XとYの間に必然的な関係があることが必要だ」として、「学校に行けば必ず成績が出るから「学校の成績」とは言える」が、「事故に遭えば必ずけがをするわけではない」から「「事故のけが」と言うのは適切でない」と主張し、「「事故によるけが」なら、因果関係が明確になるから適切な表現だ」と締めくくる。

 「私の本」や「言語学の構築」という自然な表現は、「私」と「本」の間に必然的な関係があるとか、「言語学」は必ず「構築」されるものであるとか、そういう理屈で成立しているわけではない。「本」を所有関係とともに表そうとして、あるいは、「言語学」を対象として「構築」という状態にすることを表そうとして、それぞれ表現されたものである。すなわち、認識の表現として言語が成立しているのである。「「XのY」という表現を使うためには、XとYの間に必然的な関係があることが必要だ」などという理屈がどこから出てきたのか。

 百歩譲ってそういう関係が必要だとしても、「必然的な関係」が「ある」と判断するのは個々の表現者であって、客観的にそういう関係があるかどうかとは別なはずである。だからこの表現者は「事故に遭えば必ずけがをする」と把握して「事故のけが」と言ったかもしれない。2重3重に変な理屈をこねるのはやめてもらいたい。そんな暇があったら言語の本質についての学びを1から始めるべきだ。





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最終更新日  2014年03月13日 13時56分30秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

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孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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