倚りかからず・・・
もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりかくない もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい 自分の耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ 茨木のりこ私がもっと年老いたとしてもこのように直接的な真っ正直な気持ちを吐露する事が出来るだろうか?まだこの詩は静かだ。小学校でだか、中学校の頃だかで茨木のりこさんの詩を読んだ記憶がある。長新太さんとかも・・・書店でたまたま新刊コーナーで見つけた「倚りかからず」。引っかかる事(?)があり手に取った。しかし幼い頃の記憶を覆す怜悧な真っ直ぐな視線の言葉の数々。「詩」というこちらの思惑を壊す直線的な字ズラ。引っかかり・・・この再編の中にもあった。 「球を蹴る人」 ーN.Hー ーーーー中略ーーーー 球を蹴る人は 静かに 的確に 言葉を蹴る人でもあった同じ感覚を嗅ぎ取ったのかもしれない。あの引退報道のテロップが流れた夜、友人が電話をくれた。「母は中田さんがTVに映ればいつも見ていたのよ。いい若者だって。今まで年老いた母を楽しませてくれて有難う・・・」私に礼を言われてもとぼやきながら彼女の慰めに感謝した。80歳を過ぎるその友人のお母様と茨木のりこさんが重なって思い出された。 ☆☆☆ ピカソのキュービズムに対する『発見』は思わず笑う~~ 『ピカソのぎょろ目』