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2006.12.01
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いざ過去を思い出そうとするのだけれど、あまり覚えていない。
忘れようとしていたからなのかな。
記憶が少しづつ残っているのは4歳ごろからだろうか。
けれど、保育園のときの記憶はまったくない。

私の両親は私が生まれてすぐ離婚した。
母親が重い精神病だったらしく私を生んですぐに病院に入院し
父親は入院費を稼ぐために朝から晩まではたらいた。
父親も無口な人だ。無口というか、話すとき小さな声でボソボソと
しゃべる。
その後私は父親の兄の家で暮らすことになった。
そのため、私はいとこの親を自分のお父さんお母さんだと
思っていたらしい。だから祖母につれられたまに父に会いに
いっても、ほとんどしゃべらなかったらしい。その上父も
しゃべらないので、親子の会話は成立しない。
未だに父親とまともに会話したことはない。

その後親戚の家で暮らすもいとこのお姉ちゃんと些細なケンカを
したときに、お母さんと呼んでいた人が自分の母親ではないことに
気づく。その日から私は周りの大人に気をつかう子供になってしまった
らしい。それを見ていた祖母が環境上よくないのではと思い市の児童センター
に相談し施設に入れることをきめる。


ここから私の施設生活が始まる。
施設には2歳から高校生までの子供が60人ほど暮らしていた。
初めてここにつれてこられた当初、やはり私はしゃべらなかった。
けれどそこは生活の場であり、周りにいる人は姉妹のようであり
そこには家庭があった。徐々に慣れ始め少しづつ口数も増えていった。
その頃幼稚園に通いはじめる。





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最終更新日  2006.12.10 15:59:45
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