ニュースな街「フランス・パリ(2)」~パリが聞こえる(観光と今)~
「フランス人は走らない」という言葉があるそうです。 普段は、オシャレで高級な靴を履いているので走らないとか、冷静沈着を装い走らないとか、いろいろな説がありますが、そんなパリのフランス人たちも、今回の「同時多発テロ」では走って逃げていました。 「パリの街」を紹介する2回目(後半)は、パリの街の観光と「パリ在住の日本人」が見たパリの今の様子を中心に、紹介します。 訪れる観光客が年間8400万人と世界一の観光立国「フランス」、その首都パリだけで年間3000万人の観光客が訪れます。単純に言うと、毎日8万2000人がパリ観光をしている計算になります。(2013年の統計) パリの観光名所の1番人気はというと、「エッフェル塔」で「ルーヴル美術館」でもなく、パリ発祥の地として前回紹介したシテ島にある「ノートルダム大聖堂」です。<写真 世界遺産「ノートルダム大聖堂」(フランス・パリ)> 「ノートルダム大聖堂」は、年間1000万人が訪れる「パリ最大の観光地」で、西暦1163年(日本では平安時代の末期で平清盛が活躍)に、パリ司教モーリス・ド・シュリーによって起工され、1345年(日本の南北朝時代)までの約200年の歳月を経て完成しました。 ゴシック建築の最高傑作と言われています。 全長127.5メートルで高さ32.5メートルという巨大な大聖堂で,「ノートルダム」とはフランス語で「我らが貴婦人(マリア)」を意味しており、その外観の美しさから「白い貴婦人」の愛称で親しまれています。 ノートルダム大聖堂の前には、「ポワンゼロ」と呼ばれる「フランスの道路の起点」があります。(ちなみに日本の国道の起点は、東京・日本橋にあります。) ノートルダム大聖堂は、歴史の舞台にもなっています。 1804年(江戸時代)には、「ナポレオンの戴冠式」が大聖堂で行われ、1831年のヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(日本名「ノートルダムのせむし男」)の舞台にもなっています。 そして、2015年11月15日には、ここで「パリ同時多発テロ事件」の追悼ミサが開かれ、多くのパリ市民が出席しました。<写真 ノートリダム大聖堂の「ガーゴイル」(グロテスク)越しに見るパリの街> 次に、パリの人気観光地の2位から5位を紹介します。・2位 モンマルトル・サクレクール寺院 年間約800万人・3位 エッフェル塔 年間約580万人・4位 ルーヴル美術館 年間約570万人・5位 ポンピドゥーセンター 年間約530万人 ベスト5のうち、「ノールダム大聖堂」、「エッフェル塔」、「ルーヴル美術館」は、1991(平成3)年に「パリのセーヌ河岸」という名称で、世界遺産に登録されています。 第2位の「モンマルトルの丘」と言えば、ピカソを初めとする芸術家の卵が、今も昔も活動するテルトル広場や、数多くの映画の舞台にもなった「青春の丘」のイメージですね。 特に最近は、映画「アメリ」に出てきた「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン(Cafe des 2 Moulins「2つの風車カフェという意味」)」というカフェが、日本人女性を中心に人気の観光地となっています。 パリの観光地の話は尽きませんが、もう一つ「97.8%」という数字を紹介しておきます。 何の数字かわかりますか? 実は、パリへの観光客のリピート率なんです。ほとんどの人が、再びパリを訪れたいというこで、すごいですね。 「ロンドンの街はロンドンに住む者のために作られ、パリの街は訪れる人のために作られた。」という諺(ことわざ)があるそうですが、パリはそれほど魅力的な街だということですね。<モンマルトルの丘> 最後は、11月13日の「同時多発テロ」後のパリようすを、紹介します。 ニュースを元に紹介する方法もありますが、やっぱりパリに住む日本人の目で見た街の様子が知りたいですね。 そこで、パリ在住の3人の日本人のブログの一部を紹介してみます。「 美しいパリの街が、悲しみと不安とに包まれているように感じます。 それでも、明日からまた子供に不安を悟られないよう、明るく楽しみを見つけながら、最大限、気 をつけて過ごしてゆきたいと思います。 祈る事しかできないけれど、平和であることのありがたさを、奇跡を、つくづく感じます。 皆の心が明るくなり、憂慮なく明るく道を歩ける日が、一日も早く訪れますように。」(Paris Maman GRACEさん(パリ在住の主婦)の ブログ 「フランス 子供と暮らすパリ便り」より 2015.11.16 「心を映して 今のパリ」)「(テロがあったのは)元々わかっていた場所だから、別に普通に生活してる分は怖くないよ。と言う反面,非常事態宣言が3ヶ月間に延長されたけど短すぎる!と反対するパリジャン。 シリアに対する軍事攻撃に対する反論は一切なし。 また攻撃に対する反対デモも一切なし。 パリ市内、観光客がいない事を除けば、パリジャンの生活は完全に普通に戻ったわね。 BFMTV(24時間毎日ニュースを流すケーブルテレビ)では、昨日まではCMがほとんど流れずテロの情報ばかりだったけど、今日はバンバンCM流れてるわね。」(BOSSさんのブログ「3人娘?がパリの薔薇色の生活をご紹介!」より 2015.11.21)「土曜日から(日本から来た)友人を連れて、いろいろと観光名所を回っておりますよ。どこもかしこも,いつもとかわらぬ美しさで、やっぱり、パリは綺麗〜っ、と感動してくれてます。もちろん,要所要所に、特殊機動隊の方達がいて、物々しい雰囲気ではあるけれどパリに慣れている友人は、テロの前から彼らは普通にウロウロしてたから、あまり違和感無いね〜と。そんな所もちゃんとわかってくれているので、こちらとしても気楽だわ〜しいて言うなら、ここ数日の私の敵は、突然おとずれた寒波。パリの寒さを忘れておりましたよ。さむーーーーーいっ。」(マダム愛さんのブログ「マダム愛の徒然日記」より 2015年11月23日) 日本でも、大震災の時やオウム事件の時などに、「平和のありがたさ」を感じましたが、今のパリはきっとあの時の日本と同じなんですね。 テレビのCMなしと聞いて思い出したのも、「東日本大震災」の発生時に、公共広告以外のCMが全部自粛された民放テレビのことでした。 紹介した3つのブログとも、これらの記事以外は、楽しそうな「買い物」、「子育て」、「ファッション」の話を書かれています。 パリもフランスも、動揺はしていても混乱してないぞ、「たゆたえど沈まず」だと、言いたげですね。 3人のブログから、「今のパリの鼓動」が聞こえてきますね。 みなさんの無事を祈るばかりです。<三色旗色にライトアップされたパリの夜景> 日本でも、「靖国神社で爆発物発見」のニュースが報道されています。決して、安心してはいられませんね。 今回は、「同時多発テロ」に襲われたパリの街の、歴史・観光地・そして在住日本人の今を紹介しました。 同時多発テロを受けて、フランスのオランド大統領は、「ISとの戦争に突入した」と宣言し、空母「シャルル・ドゴール」に、臨戦態勢に入るように命令しました。 フランス軍への入隊希望者も増えているそうです。 テロ、戦争、革命、レジスタンス、難民・・・・・、実は、これらは全部、これまでにパリが体験してきたことです。 パリ(仏: Paris)の語源は、ローマ人から見た呼称「パリシイ(Parisii(複数形)」で、単数形は Parisius「田舎者、乱暴者」)です。 今、世界が憧れる「おシャレで洗練された大都会・パリ」も、元は「田舎者、乱暴者」だったのです。そして、その歴史も、決して平坦ではありませんでした。 そんな中から築き上げてきた「パリ」の好イメージが本物であることを、今こそ世界に示してほしいと思います。 戦争やテロ、争いのない世界に導くために、パリが、フランスが、日本が、そして世界が、向かうべき道はどこにあるのでしょうか? とても難しい問題ですが、「不屈のパリ」の精神で、必ず「平和」を実現できると信じたいです。 なぜなら、フランスには、こんな「諺(名言)」がありますから。「不可能という言葉はフランス語にはない。/フランス人は、なにかが不可能だとは考えない。」 Impossible n'est pas français. (ナポレオンの言葉?) 不可能への挑戦! 「パリは燃えているか?」