osamu's weblog

2004/12/17(金)00:04

父倒れる。

救急車の車内は結構揺れる。今年に入って乗るのは2回目だ。 1回目は今年の2月初頭。祖母が腸閉塞により脱水症状を起こした時。 その2日後に帰らぬ人となったが。。。 乗り心地は決してよいものではない。それはきっと不安な気持ちの占める 割合が多い為だと、今となればそう思う。あの時も母と共にストレッチャ- の横に座り、一心に相手の手を握っていたっけ。。。 実は今月始めの土曜日に、父が急性心筋梗塞で倒れた。 夕食を食べたあと、家族揃ってTVを見ていたのだが、そのころから父 はしきりにお腹の膨満感を訴えはじめた。 いつもと量も変わらない食事なのに、少し吐き気も催している様子。 そばにいた母も私も単に胃腸の調子が悪いだけなのだろうと、横になっ て胃腸薬を飲む様促し、私はすぐからと言い残し、2階の自分の部屋へ と上がった。 2時間ほど経ったであろうか、母が血相を変えて2階の私の元にやってきた。 「お父さん、上から吐いたし、下からも出てるけど大丈夫やろか?」と母が 不安感をあらわにした様子で訴えたのである。私は軽い食あたりだろうと思い つつ、様子を見に行く事にした。 しかし明らかに様子がおかしい。顔色は蒼白し、冷や汗をかき、苦悶の表情を 浮かべている父がそこにいた。単なる食あたりではないと判断した私は咄嗟に どこが痛いのかを父に聞いた。「胸が苦しい。。。寒い、寒い、寒い。。。」 と力ない答えが帰ってきた。 時計の針は23時30分を過ぎていた。母は父の指示でかかりつけの医者の自宅に 電話しているが繋がらない。2人目の知り合いの医者(整形外科医だが)にや っと連絡がつき、容態を話すと「すぐ救急車を呼んで、私の病院に搬送して下 さい」と言われた。すぐさま私は携帯で119をプッシュし、救急車を呼んだ。 3分ほどで救急隊が到着。オドオドしながら父の毛布や保険証を探し回ってい る母を横目に、冷静に救急隊の人に容態を告げながら、ストレッチャ-を寝室 の近くまで通れるスペ-スを確保した。 その時の父の様子は、震えと胸痛により全く自分で動く事もままならなかった。 体重の重い父は、3人がかりで毛布に包んで何とかストレッチャ-に乗せる事 ができた。 心電図が明らかにおかしい。素人の私でも分かるぐらいの不整脈である。 救急隊の一人が、先程連絡した知り合いの医者に電話し、容態を告げると共に 指示を仰いだ。結果3kmほど離れた大阪城のすぐ目の前の総合病院に搬送され る事になった。 呼吸も荒く、酸素マスクをつけた父の手は、冷たく少し震えていた。。。 父は未だに入院中である。明日は左冠状動脈の血栓を除去するオペがある。 見た目はすこぶる元気なのだが、3本ある冠状動脈の内、2本が完全に梗塞 している。決して安心できるような状況ではない。この分だと年内退院は難 しそうである。 しかし、今回の一件で一番ショックだったのが、いつも気丈で入院などした 事がない父の弱々しい姿を目の当たりにした事である。そして、父のいない 家がこんなにも静かで、活気のないものなのかと感じ、いつも大きな声で怒 鳴りちらしているうるさい父の存在の大きさを痛感させられた事であろう。 普段は感じたり考える事など少ないのだが、今年は命の尊さと家族の大切さ を改めて思い知らされる事が多い年になったなと、少し早いが振り返ってし まった。。。

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