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THE Zuisouroku

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2024/05/13
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カテゴリ:小説












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 神山が、夜空のもとでその存在を感じた「大いなる者の意志」は、何を目論んでいるのか。
 紀元前五世紀ころのインドに、第二次世界大戦の頃の軍用機とその搭乗員ら、二個大隊をタイムスリップさせて寄こす目論見には、どんな意味が隠されているのだろう?決してこれは、無意味ではあるまい。自分たち一行が同じ時空に占位する事にも、矢張り何かの目論見が隠れている。無意味にこの様な事象が起きる訳が無いと、神山は信じずにはいられなかった。「無意味な出来事など、ありえない」のだと言う信念が、神山の胸にいつの間にか居座っていた。
 神山は自分を出来得る限り観察者としての位置に置きたかった。神山には、観察こそ今の神山を形成した元なのだという自覚があった。彼は、常に冷徹であり続けたかった。他人からは冷ややかだと揶揄されようとも、自分を事象の渦の中に沈める事だけは無い様にと、常に意識していた。
 そんな彼はまた、小林秀雄が嫌いであった。何故か?自分そっくりだからだ、と神山は考えていた。
 こんなに自分を観察者としての立場に置いておきたい神山だが、自分には意外に頑固な性格が隠れている事をも、観察者らしく神山は意識化していた。



 事象の客観化、事象の相対化、感情に左右されない生き方。これらは神山が、自分に課した命題なのであった。
 然しインドの古代文明社会で暮らす間に、その心の中には神山自身がそれを、客観視出来ない信念や信条が居座ったのである。
「無意味な事象はあり得ない」という信条だ。若し今「仏陀」を称するものに出会い、それが釈迦である事を確認できたとしたら、神山にはこの信条の様なものが、とても迷惑で不都合なのであった。
 何故この信条が最近胸に居座っているのだろうかと考えても、特に、これと言う理由は見当たらない。ただ、自然にこの言葉が心の中に浮かんでくるのである。「無意味な事象はあり得ないのだ」と。
 ホッジ部隊の出現は神山にもかなりの衝撃であった。「般若事象」がおきてからと言うもの、日々に色々な事が多く起こり過ぎて、神山の心もまた、深く傷つけられていた。理由の思い当らない事態が頓珍漢に、起こり過ぎているのだ。何故だ!と神山はホッジ航空部隊の出現理由を考察しようとした。が、いくら冷静に考えようとしてもその理由は分かりっこないでは無いか。神山の胸に「大いなるもの」と、その「意志」とが居座るぐらいに、神山の心は「傷ついた」のだろうか?神山自身ではこれを問う事も、答えを得る事も、出来ない相談だった。それぐらいに実は、彼の心は傷つけられていたと言う事なのだが・・・。

 一方、同じ研究者として、海野はどうなのか。
 豪放磊落、粋で風流を好み茶人である海野には、困った事態をユーモアで流してしまえる度量があった。
 そんな海野だが、神山に対する深い友情と、尊敬の心は変わらなかった。が、それ以外の様々な事柄に関しては、考えたくも無い事だらけになっていた。
 江戸時代中期の世界へ飛ばされた海野には、その時代の人として果たすべき責任や、立場が生まれた。一千五百石の旗本で幕臣「大学守」の役職と「伯耆守」と言う官職を得た海野は、江戸中期の世界で死ななければならない宿命を背負ったのだ。二十一世紀の世界へ戻っても、海野にはもう、誰一人血のつながった人が存在しない。それは、いま海野と共に古代インドを旅している仲間たちの殆ど、神山や、青年助手、二人の医師達も、また同じだった。彼らの血族は皆、この異常な事象と核戦争の犠牲になって死んだ。日本人のうちで、生き残れた者の方が、圧倒的に少なかったのだ。
 その中で海野にだけ、江戸中期の日本社会で背負い込んだ新たな仕事と立場、それに伴う重い責務が生じた。彼はどうしても、江戸時代の土にならざるを得ないのだった。然し、これらを深く考えない事だ、と海野は気にしなかった。科学者らしい「切り捨て」が出来たのだ。無用な事は「切り捨てる」
 心理学者の神山が、その身の置き所を、心の中で常に描いていなければ、居られないのに対して海野には意識化しなくては居られない、と言う「何か」が、無かった。と言うよりも、自然と切り捨てていたのだった。
 科学者としても、茶人としても、無論、剣道でも、多趣味な海野は要らぬ事をさっぱりと切り捨てる習慣が、いつしか心身に備わったのだった。「考え込んでも仕方が無い」なら切り捨て御免なのだった。いくら心に傷を負っても気に留めずに前を向くのが海野だった。そうしなければ、生きる意味が無いでは無いかと、海野は思っていた。
 
 いずれにせよ、いま誰もが、圧倒的に不可思議で頓珍漢な世界の中で、予測だにしない、出来ない「事態だけがひょっこり」と、出現してしまうという状況に置かれていた。多かれ少なかれ、誰もがその心を、深く傷つけられていた。
 神山には意識化して「傷ついた自己」を分析する技術があり、海野には「切り捨てる」慣習が身に備わっていた。共に行動している海野の青年助手や麻衣、そして二人の医師達も神山や海野がいる限り、身に起きた悲劇を克服し得たのだった。彼らには、シヴァ神が以前見せた、「前世からの、つながり」があった。前世では勿論の事、他に互いが、色々な形で関わり合いを持ちながら生きていた、「過去生」といわれる、幾つもの人生があったのである。それを見て知った事からだけでも、彼らの絆は深くなっていた。
 一方で、知らぬ時代に「置き去りにされた」と言う孤独感や怒りが、ホッジ中佐の部下たちの心中に生まれていた。その悲しみや怒りから、乱暴になっていく部下も少なくは無かったのである。
「大いなる者の意志」の力が彼らをこの時空に呼び、互いに知り合い、今こうして助け合っているでは無いかと、理屈を並べて見ても実感を伴わない言葉だけの慰めは、心を怒りや悲しみに支配されてしまったホッジ中佐の部下たちには、何も効果が無かった。
 心理学者として神山は、こうした心の問題にアドバイスを与える事と、対象者を観察する事が出来る。
 出来得る限り、的確な指示を出して心をコントロールするよう、行動を変えてくれと言う事が出来る。が、神山は精神科医でもセラピストでもない。あくまで「観察者」と「分析者」なのだ。
 
 実際の治療には、精神科医の雲井医師がその力を発揮する。薬は無いが、行動を変える事で、軽い鬱などは治せるし、精神的な理由から来る胃潰瘍や、軽い頭痛などには、インドにもたくさん生えている、明日葉、千振、アロエ、ドクダミなどがその薬効を示すのだ。
 インドの多種多様のスパイスも、例えば薬剤師にとって貴重なものである。そうしたスパイスに用いられる植物の薬効は目覚ましい。それは、薬剤師だけでなく、楠や雲井両医師にも、同じであった。インドの大地は薬効ある植物の宝庫でもあった。雲井医師と楠医師、そして心理学者の神山が力を合わせて、自力で薬効ごとに薬の元となる植物を採集し、また育てて薬を自作した。
 植物の実や葉、茎や根を加工し、煎じたり似たる干したりの作業中は、彼らの楽しい時間で、本音で話をする事が出来るのだった。その結果出来る薬の効果もまた、驚くべきものだった。
 これが幸いし、患った米海軍将兵は、目に見えてその健康を取り戻していくのだった。

 同時に、心理学者の神山と、この医師達の評判は、いつしか巷の噂になっていた。雲井、楠ら二人の臨床医と、心理学者の神山は、此処、マドラの市民から逃げるわけには行かなくなりそうだった。
 
 観察者の役目を果たす心理学者の神山と、臨床医の雲井、楠が力を合わせて米海軍の将兵を治癒へと導いた。ホッジ中佐はまたもや「この不思議な人達」の力に驚かされた。そんな日々の中、学者の神山と雲井、楠の臨床医たちは、ホテル『タパス』の近所に小さな家を一軒借りた。彼らはそこでクリニックを開き、マドラ市民を診療する覚悟を決めていた。無論、米海軍将兵の病もだが。
 このように、神山や海野たちの一行が、心に傷を負いながら、無理にも意欲的に生きていられるのには、前世、過去生から来る強い繋がりと言う背景があった。



 一方で、古代インドを共に生きて行く事になった米海軍、ホッジ中佐の部隊員たちの場合は、話が別なのであった。結果、楠や雲井、神山らは新しく開くクリニックで、米軍将兵の体調管理も行う事を約束して彼らを安心させた。


 
 また、海野の場合は、二十一世紀だろうと、江戸中期だろうと、また古代のインドだろうと、運命に身を任せて行くべき所へ行くだけだ。そうしなければ他にどうしようもないのだから、とすっぱり割り切っていた。
 考え込まず、行動する事で海野はストレスから距離を置いていた。海洋生物学者の海野は、行動する事が新たな道を拓いてくれる事を、その経験から学んでいたのだった。

 そうこうしながら忙しく過ごす間にも日は経過した。
 クリニックを開いた事で、マドラの市民や米海軍関係者には、医学と心理学の両面から、その身体を診てくれる場が出来た。古代インド社会でこれは画期的なクリニックであった。不思議な力で薬効優れた薬を処方してもらえる。その診療費はマドラ市民の福祉や健康に資するよう、神山らクリニックの関係者が取り計らい、マドラには二つ目のクリニックが、マドラの市民の手で建てられた。この二つ目のクリニックは神山や雲井、楠らの意見を聞きながらの見様見真似の感が否めなかったが、マドラ市民が建てた初めての医院である事が大きな意味を持った。
 診療そのものに喜びを感じる三人の専門家は、お金を欲しがったりはしない。それどころか、シヴァ神の助けで、そうした物質的な事項は全く心配の要らない日々を送っているので、純粋に患者を診療し、薬を研究し、作る日々を送る事が出来た。シヴァ神はいつか神山から依頼された市民の噂からの情報集めがすっかり楽しみになり、海野と麻衣、青年助手を誘って情報集めと世間話の日々を楽しく送っている。
 このマドラには少なくとも数十人の修行者が住んでいる事や、その中で「仏陀」を称する修行者は、四人いると言う事、ここ暫くは、新たに修行者や思想家がこの街に来る予定は無かろうと言う事までが、市民との世間話や噂から分かった。旅芸人や出家修行者、思想家の訪問には先触れが来る。先触れを生業にする者たちは、隣接する大きな都市の間を行き来しながら情報を集めているので、何か変わった人や集団の訪れを見逃がす筈が無い。少なくとも次の月があ来るまでの間、新しい催しものも、訪問者も無いだろうと言う事は、こうして伝わるのだと、海野たちはシヴァ神と共に知ったのだった。
「仏陀」を称する人物は、現在マドラに四人いる。この四人は皆、訪問前に予め、供養の品と金銭を渡して礼拝し、敬礼しないと話をしない。以前「第一広場」で面会に応じてくれた若い修行者の様には行かないのだと言う事だった。無論、正式の面会にも更に供養の品と、金銭とを持って行かなければならずその四人の「仏陀」たちは「第二広場」で暮らしていると言う事も、市民らの噂話から詳しく知る事が出来た。四人はいずれも、歳の頃は四十を過ぎており、うち三名は名乗らず、その名を知る者が無い。称号である「仏陀」を常に用い、その面会にはその人の未来の予測をしてくれる他に、面会人の望む事をひとつ、占ってもくれるのだと言う。その四人の中で一人だけ、こうした占いの他にもうひとつ、面会者のためにその力を使ってくれる者がいて、望めば、面会に出かけた人たち全員の前世と未来に起きる事の、具体的な注意事項を、詳細に教えてくれる人物がいる。その人物は「ウッダカハラナヤーナラ」と言う人物だと言う事。海野たちはこの人物に焦点を絞ろうと言う事に決めた。他の三人については、こういう事の専門家でもある神山の意見を聞いてから決めようや、と。
「ウッダカハラナヤーナラ」への面会申し込みやその他も、勿論、神山の意見を聞かなければならない。ともかく海野たちは、「ウッダカハラナヤーナラ」も釈迦である筈は無く、他の三人の「仏陀」たちについても、この中に釈迦が含まれてはいない事を、既に見て取った。神山の判断を待って、彼らへの面会申し込みを決めるのだ。おそらく神山は、全員に面会しようと言うであろう。今はとにかく情報量を多く、である。



 クリニックの準備や薬草採集と栽培、丸薬造りに多忙な三人は、食事も摂らずにひたすら働いた。食事の暇を平気で薬事や診療のために使う三人の専門家たちは、日が長いマドラの一日の中で、夕方だけ食事を摂っていた。
 朝と昼は、大抵食事抜きで働くのだから体に良いんか、どうか周囲だけが心配した。その代わりに診療を休む水曜と日曜には、朝からゆっくりと食事を楽しみ、会話をしながら酒も呑む。海野やシヴァたちはこの時間を使って情報の中から重要な事だけを詳しく口頭で伝え、他は記録で読んで貰っていた。
 そんな休日の昼の事、海野が神山に例の、「ウッダカハラナヤーナラ」の事を先に伝えると、矢張り、神山も、前世や未来に起きるであろう事への忠告という事について、興味を示した。
「それがどの程度詳細なもので、どれだけの事が聞けるのかで、それがどんな占いなのか、もっと知る事が出来るのでしょうが、先にこの人を訪れて見ましょう」
「神山先生からご覧になっても、矢張りこの人物のする事は、珍しいのですか?」青年助手が尋ねると、神山は冷静に言った。
「過去や未来の予測と言うのは、世界共通ですが曖昧模糊としていましょう?詳細にその人の人生を見て、忠告してくれる者なら占い師ですし、一生の出来事で、主だったイヴェントを告げたり、いつ死ぬのかその原因は何か?までを教えるのならそれは単なる占いでは無く、呪いの類に入ります。これはバラモンの火葬の者が告げるべき仕事で、出家した修行者だと言うだけでは出来ないというよりも、この樹代の慣例では、それをしてはいけない事になっています。この時代は殊に厳しくその職域が決められていますから、おそらく人生の全てについて、死ぬ時とその年齢まで告げると言う事はしないでしょうねえ。まあ、とにかく今度の休みにこの人の所へ行ってみて、そうしたらわかりますから・・」などと既に神山はその告げられるであろう中身までを予測し分析していた。そのあと暫く海野が座をはずすと、神山は、
「そうですか・・。他の三人は名乗りさえしてくれないので?う~ん・・。どんな按配なのかなあーあ?」などと、一人ごちていた。
「推定年齢はこの残りの三人って、四十を超えてるんですねえ。然も名乗りもしない、簡単な占いしかしないなど、まともな修行者とは思えませんが・・。うーむ!どうしたもんでしょうね?海野先生・・。」
神山は相当迷っているのか、それとも海野に何か知恵をかして欲しいのか、掴みどころがないのだった。
「神山先生、情報集めと言うだけだって面会してみようじゃあありませんかあ!噂話にも価値ある情報が相当量含まれているし!」海野が唆すと、神山はいとも簡単に「そうですねえ会って見ましょうか!次の面会はこの二人にして、あとの二人にはその次の休日と言う事で・・」話はまとまった。インドの古代は時間が短くて長いのだ。なんともおかしな言い方だが、日が長いのに、事はゆっくり進む。長い日中も行動しない。涼しい午前か、日が傾いた夕方から、人が動くのがマドラ流である。
 修行者は涼しい早朝から午前中しか面会しない人が多い事も、海野やシヴァ神たち一行の街のおしゃべりで分かってきたことである。そうしてみると神山たちと初めに出かけた「第一広場」のあの若い修行者は、格別だと言う事が判然した。まだ陽が高くて暑い午後に、予告も無しに出かけて行って、嫌な顔ひとつせず、こちらの聞きたい事には快く応じてくれた上に、話す仲にも人柄や、親身な心根が伝わるのだった。「また、いつでもお出で下さい。」とさえ言ってくれたあの修行者に会う方が先なのでは無かろうか、と海野が思ってこう言った。
「あのね、神山先生。実は、こないだ面会に行ったあの若い・・・」
「ああ、あの誠実な人でしょう?そうですねえ。おそらく彼は他人の噂や悪口を嫌がるでしょうから、この四人に関する信頼に足る情報ならば、もらえるかも知れませんけれどねえ・・」
「第一広場の『仏陀』と、親睦を深めておいた方が後のためでしょうかねえ?もしかすると二度目ですし、ご供養もするのでしょう?こんどは名乗ってくれたりするかもしれませんし」
「はい、私もそう思いますよ。あの性格を見てこの前は敢えてこちらから、名を教えてくれとは言い出せませんでしたが、こんどの訪問を親睦のためだと感じ取ってくれたら、彼は案外親しみを深めて来てくれるかもしれない。同じ情報でも、信頼度次第でより一層中味のあるものになったり、奥行きや幅が出ますから・・・」
「奮発して今度は菓子だけじゃなく、色々と見繕いますか?そしてお布施もお渡すと言う具合に?」
「ええ。先だっては、この国のマナーを心得ませず、失礼を致しまして、誠に申し訳ございませんでしたと、丁重に、お渡しすればそれがたとい、お金であっても受けて下さると思いますが、祠の様子からも感じましたがあの青年は、お金を必要以上には受け取らないのだろうと推測しますから、私がそれと無く確認をしましょう。お金の事に関しては、それからでも遅くはありませんから」神山が言った。
「分かりました。では予定変更で、次の休みは『第一広場の修行僧』にお目に掛ると言う方向で、準備をします。」
 話はこうしてまとまった。情報源である誠実な人を優先しましょうと・・・。

「然し、海野先生のおかげさまで、出家人にも、占いを言い訳に、供養やお金集めをする『生業組』があると言う事が判然しまして、これは収穫ですよ!文献や専門書にもあった苦行者、修行者の金銭集めに関する記述の実態が、良く分かってきましたねえ!ほんとうに、海野先生や他の皆との、チームワークの賜物ですよ」と、言って神山は喜んでいた。

 「そういう苦行や修行を、生業としてやっている出家者って、この街にはどれだけいるのでしょうねえ?出家した修行者であっても、まるで見世物のような占い、呪いで結局はお金集めをする人がかなりいるでしょう?これでは供養って言う言葉が泣きますぜえ!」と、言いながら逆に、海野が笑った。
「『事実は文献より奇妙且つ、奇天烈』という所でしょうか?」と、神山が応じた。

 海野も神山も、「第一広場」のあの若き修行者の、清々しい人柄に早くまた触れたい気持だった。
 古代インドの陽は暑く、日は長くて短い。海野は、自分が初めて江戸期にタイムスリップしたばかりのあの頃に感じた江戸期の社会の「長い一日」を思い出した。あの時になんか似てるなあ、と彼は思った。

 (続く)

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Last updated  2024/05/13 11:58:51 AM
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