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THE Zuisouroku

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2024/05/23
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カテゴリ:小説











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 シヴァ神に護られたパパカンダヤーナは目を瞑り、自分が過去生で釈迦だった時に戻り、その頃に自分の弟子たちと話し合っていた事を回想し始めた。
 
 そこには、河が流れていた。自分たちはありふれた、大きな街の郊外を流れるその河の畔、或る篤信者の屋敷に逗留していたのだ。



 自我と言うものは、例えればそれは、この河岸で流れに見入っている私の事では無く、この河の流れによって、今まさに流されて行く私なのだ。全ては過ぎ去っているような気がしている。が、それは相対的な事で、視点を変えれば相互に同じ方向へと流れている事を認めるしかない。過ぎ去って行くだけでは無く、視点を変えれば自分もまた過ぎ去っているのだ。これは全ての自我と言うものにも、全ての事物にも共通している。
 事象の生起、消滅は逆に向かう事が無く、且つ、繰り返されている。
 生起と消滅の循環だ。自我もまたこれに逆らえず、生起してはまた滅する。循環するからまた生起する。この繰り返しなのだ。
 「この様子をありのままに見て、そして受け入れるのです。それは何も非道な事では無く、それどころかそれは、ごく自然な事なのだから」
 循環する様相を生と呼んでいる。また同時に、循環する様相を死とも呼んでいる。この全てを否定せず、呑み込むのですよ、と言う誰かの声がする。パパカンダヤーナは何かとても懐かしくて、暖かくて、心が和むのを感じる。
 パパカンダが釈迦であった頃のこの回想が、シヴァ神の心にも同時に映じていた。パパカンダヤーナは、彼がその過去生で、釈迦であった頃の事を今、確かに回想している。
 祈る事よりも、観察した事象をよく考える事がその人生の中心だった。
 その、釈迦であった頃の過去生では、その頃の生き方によって得た価値観が、ほとんどの願望を、既に叶えられたも同じものにしていたからだ。望みや、願いが少ないので、念じたり、祈ったりするような事はほとんど無い。若しも祈るとしたら、自分たちが悪い事をしない様にと、祈るぐらいなもので、それは生き方次第だった。自由な観察と思考を繰り返しているだけなので、彼らには、祈りという行為は、特に必要無かった。祈りを強要されたり、それを想起させられるような事態は、パパカンダが釈迦であった過去生に、ほぼ無かったのだ。そこから智慧は生れ出た。祈りから生じたものでは無く、自由な観察と思考から出た智慧だ。ごく簡単な釈迦の想念によって思考された事なのだ。
 パパカンダヤーナは当時を想起した。智慧は全ての者の心を潤わせた。この生き方によって、心を潤わせる人達には念願や願望が少ない。念願や願望よりも先に心が潤っているからだ。智慧は、この様にして用いられた。
 現実を見て観察し、自由に思考する人生を、何らかの事情で妨げられた時、人は祈りを主にして生きる事を強いられる。苦しみから祈りを強いられた多くの人たちの想念は、次第に観念として実体化し、それ自体として、或る一種の「意志」を持った。「般若事象」はこうして始まったのだ・・。
 シヴァ神は、パパカンダヤーナの心に映じた釈迦の人生から、漸くこの一連の流れを理解した。
 
 その様子から察するにこれは、まだ釈迦が世に知られない若い時代に、彼を支持していた、幾人かの仲間たちと釈迦が語り合い、観察し思考を楽しんでいた頃の記憶の様だ。釈迦と仲間たちは観察と思考によって、この人生を楽しんでいた。
 やがて、この時の観察から得られた事を元に、彼らの智慧は生まれたのだ。従ってそれは、祈りから生まれた智慧とは性格が異なるのだ。
 生と死とは循環しているのだから、生存と死とは、同じ事なのだ。これらは交互に繰り返されるが、実は表と裏との違いであるだけで、本質は同じ出来事なのである。これをよく観察すれば良い。怖がらず、よく見て受け入れれば良い。自分はこの過去生で何かそんな事を、ぼそぼそと、語っていた気がすると、目を瞑ったパパカンダヤーナの心には、自分が釈迦であった過去生の記憶が蘇り、その時に見た景色が鮮やかに映じていた。
 とくに何処と言うまでも無い、ありふれた街の郊外。まだ篤信者も少ない釈迦は、自由にものを考え、これを何より大切にしていた。篤信者の家に逗留して、日々散策しながら事態を観察し思考を重ね、その深まりを楽しんでいた。ごく親しい仲間と共に話す時間は何にも増して大切な時間であった。決して堕落した会話に耽る事無く、観察と思考を深める日々。
 この時の記憶がパパカンダヤーナの心の中で、鮮明に、とくに強く現れているのを見たシヴァ神は、その智慧がやはり、こうした時間に因って醸し出されたものなのだなと、頷いた。
 横暴な圧力に妨げられず、のびやかに思考され、熟成された産物が智慧なのだった。いびつに、ぽかんと現れた観念では無い。無論、お化けでも無い。
 この様相は、少年としての「般若」にも見えている。その心に映じているはずだ。シヴァ神は何の懸念も抱く事は無かった。少年と化している「般若」には、これをありのままに、見て感じてもらえれば良いのだ。何せ、パパカンダヤーナこの過去生の想念は、その生みの親が考えた事なのだから。

 シヴァ神はこれを、海野や神山たちへも同時に伝達していた。彼らもまたこの心象風景を、まるでテレビで見ているように鮮明に観ていた。
 神山は心理学者として、「般若少年」の心にこれがどう、映じるかに気を配った。一方、海野はただ心配していた。海野らしく感情表現が素直で分かりやすい。雲井は、精神医学者として興味津々だ。固唾を呑んでこの心象光景に見入っていた。
 自分は、いま頑なに突き動かされるまま、乱暴に時空を捻じり上げてこの世界を破壊してしまおうとしている。それどころか既に破壊された時空もある。少年となった「般若」の姿は、同時にその心の幼さを表していた。問題は、その子供が、乱暴に破壊しているのは時空であるという事だ。
「大人になったら科学者になりたいと、思った事があるだろう?捻じり上げているその手を放して、今度はそれを直して見ようよ」
「思考と言うのは壊したものも、元に戻せるんだよ。僕も手伝うから、仕組みをよく見て直して見よう、楽しいぞ」
 諭す声が聞こえてきた。誰の声なのか分からないが、それはきっと、子供の頃には誰もが思い、考え、経験した事のある強い郷愁を覚えさせた。穏やかな声と、懐かしい言葉だ。

 時空を手放したとしたらまたそこに、乱れが生まれる。衝撃も受けるだろう。少年はまだ時空の端を捻じり上げたままそれを手放しはしていない。
 神山は「少年」の心理が未熟なのを知っているだけに、この優し気な言葉が逆効果をもたらす事をも考慮にいれて、心の中で身構えると、海野の肩を軽く叩いて、その眼を見た。神山の意図は海野にも伝わり、海野も軽く頷いて見せた。
 この心象から見てパパカンダヤーナの過去の人生に、釈迦であった頃のそれが判然と分るものを認めたシヴァ神は、賭けるしか他に無いぞと、心に思った。そのシヴァ神の思いも同時に皆へと伝えられ、皆は再び固唾を呑んで、天を見上げた。

 アメリカ東海岸の戦闘艦隊の上にいた魚類からの発展系、魚類人の「モロ」には、この、時空の危機が伝わった。彼は本能的に海へと飛びこんだ。
 出し抜けに、ドイツ潜水艦が攻撃を加えてきた。
 日本の空母『創竜』は火を噴いた。『加賀』にも一発来た。どっしーいーん!!という衝撃。水柱は天高く跳ね上がり、巨大な水の塊となって鋼鉄の様に危険な凶器となった。
 ドイツは突如、敵する日米同盟の大艦隊を発見し、狂喜してこの大きな獲物に奇襲をかけて来たのだ。時空のズレがドイツ潜水艦隊をも、この東海岸に運んだのだった。
『信濃』には、西さん父子が乗っている。二十一世紀の最新鋭空母は即座にアクティヴソナーを使い、潜水艦の位置を割り出すと、急いでこれをおおっぴらに、無線で司令官の山本に通告した。
 急がないとこちらまで沈められてしまう。ここは旧式艦隊と言っても駆逐艦が多数ある、彼らの力を借りるしか他に手立ては無かった。
 この間に、『信濃』の航空甲板には素早く対潜ヘリが上げられた。ソナーで敵潜水艦の音紋を登録しないままだが、対潜ヘリ数機は飛び立っていった。自律型の兵器を選ばずに、有線誘導兵器を使って攻撃するのだ。第二次大戦当時の時代からこちらへ飛ばされてきた皆の目の前に、初めて二十一世紀の航空機が姿を見せた。

 戦争や闘争を、全く知らない魚類人「モロ」はこの戦闘の模様を、水中から眺めた。「モロ」のすぐそばをドイツ潜水艦が通り過ぎて、海面からは何か大きな塊が沢山落ちて来た。「モロ」は知らないが、それはドイツ潜水艦を狙った、日本の軍艦からの爆雷なのだ。ドイツ潜水艦も複数存在していた。海面から落ちて来る爆雷は、「モロ」のいる下から強い衝撃となって「モロ」を海面へと押し上げると、再び海面へ叩きつけた。爆雷で魚が多数死ぬのと同時に、おなじ魚類から発展した魚類人である「モロ」も危機にさらされた。
 「モロ」は、彼の元いた時空から、江戸中期の、海野がいた時空に飛びこんで来て人類を知ったのだった。
 その「モロ」は再び、本能で飛び込んだこの時空の海中で、それまで知らなかった戦争という惨劇に遭ったのだった。
 海中には多くの爆雷が投下されている。「モロ」はその爆雷のただ中へと引きずり込まれて行く。爆雷が生んだとりわけ大きな渦は、「モロ」をその中へと巻き込んでしまった。

 神山は、シヴァ神の力を借りた、意識と意識の間でのやりとりの中で、「般若」の意志が分からないのがもどかしかった。
 心理学者として神山が、最も知りたいのは少年「般若」の心理であった。その変化が時空に影響を与え得るかどうか、神山は観察したかった。
 少年「般若」は、時空を手放したのだろうか?先刻の、あの穏やかで懐かしい言葉が、今は聞こえて来ないのを神山は訝しんだ。

 時空に衝撃が来なければ良いが・・・。海野も神山も、それだけを心に念じていた。

 (続く)
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Last updated  2024/05/23 04:19:18 PM
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