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5月の14日、15日、四日市で万古祭がひらかれました。 KENチャンとPAPAチャンは15日の夕方にぶらりと出かけてみました。 さすがに人が多い! 駐車場に車を止めるのもひと苦労しました。 KENチャンは焼物にはぜんぜん興味がなく、屋台で売っているおもちゃを欲しそうに眺めていましたが、買って~!とは言いませんでした。 少し大人に近づいたかな! PAPAチャンは湯呑を一つゲット! 前から欲しかったんです、ごっつい湯呑! KENチャンはフライドポテトとチキンを食べながらブラブラ・・・ 太るぞ~! 二人で使ったお金は、千円ぴったし! お安く済みました!(^.^) 万古焼 万古焼の名は元文年間に桑名の商人、沼波弄山が三重郡小向(朝日町)に窯を築いて、作品に永久に変わらないという意図で「万古不易」「万古」の印を捺したところから出ています。弄山の死後、一時途絶え、各地で再興が計られますが、その一人森有節が木型を使い、紙型を用いて紬薬を吹付けるなど改良を加え、特に急須が好評で「有節万古」とよばれ「桑名万古」の名で家内工業的に生産されてきました。それが「四日市万古」に発展したのは明治初期の東阿倉川に山中忠左衛門、森庄吉氏によって輸出品生産を目標に付近の陶土と桑名万古の技術と伊賀焼のろくろ技術を吸収して始められたことにあります。以後輸出と内需の比率の変化はありますが現在は4対6でディナーと一般食器を中心に近代化がすすみ、茶器などの伝統的製品の減少がみられます。しかし、昭和54年1月12日付けで通産大臣より「伝統的工芸品」に指定され、今後の発展が期待されています。 参照 http://www.mie-kyobun.or.jp/Tayori/Den/Den030.htm 万古焼 しゃぶしゃぶ鍋 京粉引 昔ながらのおいしいご飯!ふっくら炊飯鍋黒小(2合用) 蚊やり・蚊とり器イラボ万古焼といえば、これでしょう! ←メルマガもよろしく!毎週日曜日に配信しています! ←宜しければこちらもクリック! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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