|
★ 644万アクセス!
(新規開設後604万アクセス+ 削除時 398211アクセス) →→→ トブネコかおりんさんの作品です ☆ 「幸せを呼ぶ30個のダイヤモンド」が、「幸せになる法則」として復刊しました!私の記念碑的代表作です。生きる勇気が湧いてきます。★ 「幸せになる法則」~この本と「我謳!!」は台湾、韓国でも翻訳出版されています。 パワールックMIWAKOさんの作品です。☆ 平和と希望そして、愛と安全のシンボルマークです。 世界中に広がることを願っています。商行為ではなく心の運動ですから、どうぞ無料でお持ち帰りください。 ∞(無限)をベースに、勝利と栄光のシンボル月桂樹。太陽のように世界を照らし無限にまわる愛と、 キラリと光る心の輝き。色は緑の大地や空、花など自然の美しさをイメージした ものです。 8本の光線は、お人好しを卒業、反省、感謝、報恩、平常心、愛の心、自由な心、勇者の心。 さらに、八正道の正見、正思、正語、正業、正命、正進、正念、正定を表します。 ![]() ☆ 特定の組織や団体とは無縁です。 あなたの心に灯った、一本の小さな愛の灯が、やがて世界の闇を無くす大きな光になることでしょう。 ![]() ![]() このバッジは、愛の心バッジです。 経費を除いた利益は、全額を奉仕活動に使わせて頂き、活動状況を、HPにて公表させて頂きます。 ☆ バッジ会HPです。
Shopping List
テーマ:自分らしい生き方・お仕事
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日は、尊王攘夷派の中心人物で、
西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」として並び称せられる 木戸孝允(桂小五郎)を紹介します。 木戸孝允は、萩藩の藩医の家に生まれ、吉田松陰に師事したこともあったようです。 藩の重職に就き、藩論を討幕へと導いた功労者です。 ![]() 慶応2年(1866)薩摩藩との間に薩長連合を締結。 五箇条の誓文草案を起草。参与に任ぜられ、 版籍奉還の実現に尽力。参議。 岩倉遣外使節団に副使として参加。 文部卿、内務卿、地方官会議議長、内閣顧問等新政府の要職を歴任。 立憲制の漸進など新政府を牽引しました。 妻は、舞妓上がりの芸妓、幾松(松子)で 桂小五郎が命の危険に晒されていた最も困難な時代に彼を庇護し、 必死に支え続けた女性です。 ![]() 長州藩が朝敵とされ、幕府に追われる身となり、 二条大橋周辺に乞食の姿となって隠れ潜んでいた桂に、 幾松はよく握り飯を持っていったといわれます。 小五郎と恋仲であることを知っていた、 新撰組局長近藤勇に連行され、桂の居場所を聞かれたが頑として口を割らなかったそうです。 その後、桂は出石に潜伏し名前を廣江孝助と変え、ある時は荒物屋主人、 ある時は寺男となり、転々と居場所を変えながら潜伏し続けたのです。 小五郎の潜伏中、京都で、幾松がある会津人に襲われたことがあり、 その際三味線を折って投げつけ対馬藩屋敷に助けを求めたといわれます。 身の危険を感じた、幾松も出石へ逃れてきたので桂小五郎は、 出石から幾松を伴って山口へ帰国することに決めたのです。 途中、城之崎温泉などに立ち寄るのですが、 その時の旅行が日本最初の新婚旅行とも言われています。 坂本龍馬の新婚旅行の話は有名ですが、本当は、こちらの新婚旅行の方が1年早いのです。 ![]() 自分の短所を補うために、身近な存在である、妻の言葉をよく聴き、 他人の優れた長所を取り入れるべきです。 愛妻家として知られた、木戸孝允の言葉です。 配偶者からの耳の痛い忠告にも耳を傾け、他人の優れた長所を取り入れること。 配偶者を幸せにすること。家族を幸せにすること。家族手を取り合って生きること。 これは、今も昔も変わらぬ、幸せの原点なのだと思います。 因みに勝海舟は女癖が悪く、愛人に子供を生ませ、 妻は一緒の墓に入ることを拒んだといわれます。 維新の功労者、勝も、よい家庭人とは、お世辞にも言えなかったようです。
☆ 小社の社員は、東日本大震災災害派遣に出動しました。
☆ よびりん♪登場!!インターネットTVカウテレビ。音声+動く画像です♪ ☆ サブ日記では連日「私の夢」を発信しています。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 16, 2026 08:36:12 AM
コメント(0) | コメントを書く 【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
|
|