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平民愚平 備忘録

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2017.04.10
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今から半世紀前、高校生時代、校庭の桜🌸がとても見事だったので、家族を連れて見物に行った思い出がある。

我が母校、🏫神奈川県立希望ヶ丘高等学校…当時の通称 "神高"

それこそ半世紀ぶりに桜🌸の塩梅を観ようと、今日はちょっと足を伸ばして🚶Walking で行ってみた。片道一時間強…丁度良い距離。

昨今の風潮で、卒業生と云えども、勝手に校内に立ち入るのはまずかろうと、事務室に寄って入校証を付けて入場。

新入学の時期で、丁度授業が終わる時刻であった為、クラブ活動の勧誘の上級生たちが新入生が校舎から出て来るのを待ち受けている。

私が歳をとった所為か、時代の違いか、私の時代と比較し、生徒達が子供っぽく見えて仕方がない。

そもそも、女子が増えた❗
起源は戦前の旧制中學校(神奈川一中)なので当然男子のみ。戦後に新制高等学校になり男女共学となったが、私の時代でも1学年4
00名の内、女子は1割~2割しか居なかった。…そんな学校をわざわざ志望して入ってくる数少ない女子は、勉学、性格、ミテクレ
…何かしら男まさりな方ばかりで、少なくともキャピキャピはしていなかった。

更に、当時は70年安保の時代で、全く"お子ちゃま"で"劣等生"だった私も、否応なく混乱に巻き込まれた。

3年生の時(1969年)、一部の生徒が校舎をバリケード占拠、学校側と交渉の結果、全校生徒集会を開催する事に…その後、数ヵ月間授業はなく、毎日校庭で集会、ディスカッション。


テーマは、
(日本)帝国主義の糾弾
学業の目的は"受験"であってはならない
差別問題(人種差別(在日朝鮮人)、部落差別)の問題提起

が主体だったと記憶する。

母校は、明治の日本帝国主義(~軍国主義)時代にエリート教育の為に創設された経緯から、上記項の糾弾対象であり、議論の結果、創設以来の"校歌""制服""
校章""略称""応援団"が廃止された。

私は1年生の時から応援団に入り、3年では副団長だったのだが、正式組織は解散となってしまったので、その年の夏の高校野球の応援は、"応援有志"としてやるハメに。
だから、卒業アルバムにも3年間情熱を持って取り組んだ"応援団"の写真も記録も採用されていない。

項の議論では、"テスト"による成績決定や志望進路に合わせた"クラス分け"に疑問が呈され、結果、中間試験の廃止、
テストは記述式解答の多用、クラス細分化の廃止…が採択された。

その後、半世紀を経た現在、
* 校歌、校章、略称は変更されている
* 制服は無し(希望する者は昔の制服を着用している)
* 中間試験は今も無し
…と、歴史を変える出来事だった訳だ。

私は当時、小学生レベルのオコチャマだったので、何が起こっているのか、只狼狽えるばかりだったので偉そうな事は言えないが、その前後の激しい世の事変(東大安田講堂事件、三島由紀夫自決、三菱爆破、浅間山荘…)も含め、"知らない事、知ろうとしない事は罪である"…と言う後ろめたさが常に付きまとう青春期だった。

傍目には色気ばかりが目につく"オコチャマ"に見える現代の高校生は、果たして幸せなのか?


それはさて置き校庭の桜🌸🌸だが、大木は有るのだが、思ったより華やかさがない。考えてみれば、半世紀前に既に華やかな木々だったのだから、恐らく樹齢は70歳くらいか?
染井吉野🌸の寿命に達しているのかもね😃


本日の脳内エンドレスミュージック🎶は、私の時代に学園紛争で廃止になった、山田耕筰作曲、佐佐木信綱作詞の"♪ 神高(神中)校歌"

2017/04/10 9:36 <>:
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Last updated  2017.04.13 22:32:57
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