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カテゴリ:父の紀行文
(1995年に父が書いた原文のままなので、現在では変わっている部分もあるかもしれません)
西国第十三番 石山寺 滋賀県大津市石山町1丁目1番1号 瀬田川右岸を走る国道422号は、かってサーキットのシケインのように、石山寺門前で彎曲して、東大門の直前をかすめていた。これが改修されて、歩行者にとっても、自動車にとっても危険度が減少した。 京阪電鉄の石山寺駅は、一時石山蛍谷と呼ばれたことがあった。事実、駅の所在は蛍谷で、寺までは徒歩20分の距離がある。 東大門を入ると整備された参道が伸び、入山料徴収所から右に階段を登ると、前面に天然記念物の硅灰石の崖が立ちはだかる。更に左に昇ると本堂の入口である。本堂の正面は舞台造なので入口は側面になる。 本堂相ノ間に源氏の間という付書院があって、紫式部が参籠した部屋だという。だが窓が時代の下がった花灯窓なので、「お宮の松」・「真知子岩」の類だということは一目瞭然だ。実は本堂は平安時代だが、礼堂・相ノ間は慶長年間の建築である。 石山寺は、1年のうちごく短期間を除き、修学旅行の団体が次々と訪れる。ところが彼らは、本堂を足早に通り抜け、鐘楼の前から出口の方へ下りてしまう。結果、全ての高等学校の教科書に登場する鎌倉初期の多寳塔は無視されてしまう。生徒諸君の無知も一因だが、過密スケジュールにも問題がありそうだ。塔内の大日如来はライトアップされている。 多寳塔を右に進むと月見亭に至る。ここから瀬田川が俯瞰できる。先年、瀬田川左岸に住宅開発が始まったとき、寺は景観が損なわれるとして、反対の署名を集めていた。残念ながら効果はなかった。 石山寺へは数多くの観光客がやってくる。その中には少々お行儀の悪い連中も少なくない。が、寺そのものは気品を保っている。 門前の食堂はいずれも蜆飯を売物にしている。B級グルメの私の好物のひとつである。 (1995.2.24) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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