ちっちゃなお部屋

2008/03/11(火)09:20

三月の青い空

思い出(2)

2年が経った。三月の、青空が広がり 風もない穏やかな暖かい日になると、先生のことを思い出す。 2年前も、こんな日でした。あの日も、とってもいいお天気で、隣の幼稚園児が、小学校の低学年広場に遊びに来ていました。見ていてとてもいい光景だったと、小学校の先生がおっしゃっていた。 もうすぐ春ですね~。 夕方に、突然電話が鳴った。訃報の電話でした。息子の幼稚園時代の恩師です。私にとっては、子育ての恩師です。「保育は愛」と、家庭訪問の時、話していらした。よく、息子は抱っこしてもらっていた。幼い子供は、あっけらかんと何でも話す。 「先生、お顔に泥がついているよ。白くなってる。」「これは、お化粧なのよ~(^^;)」 「先生の髪の毛って、茶色だね。どうしたの?」「先生、染めてるの(^^;)白髪があるのよ(^^;)」 どうしようもない息子に、嘆いていたら、「天才かもしれませんよっ(^^;)」って、勇気づけてくれて、「でも、先生、何とかと何とかは紙一重って言いますよね(TT;)」って、私が言うと、二人で大笑いしたこともある。 「今日は、ちょっときつく叱ったのだけど、お家で元気にしていますか?」 と、夜に心配して電話を下さったこともある。(息子は、あっけらかんだったから、申し訳なかったくらい。) 卒園後も年賀状のやり取りを子供も私もしていた。先生が、体調を崩されていて、それを押してまでぎりぎりまで保育に携わっていたことも薄々感じていた。身を削るまで、そこまで捧げないで・・・と思いつつも、「天職だと思っています♪」と語っていた。 最後の年賀状をもらった時に、体調が非常におもわしくないことを知っていた。知っていたのに、年賀状を出して、お返事が来た時は、本当にうれしかった。一生懸命書いてくれたんだと思います。 お通夜に参列した時は、教え子とそのお母さんで、たくさんの人が来ていた。ちょっとした、同窓会だった。当時、ご一緒だった園長先生にも、久しぶりに再会した。「みなさん・・・」と園長先生が、泣き崩れた。園長先生も、すべてをご存じだったから。あの時、保育半ばで、現場を離れるのは、先生にとって非常に辛かったと思う。でも、それを、一日でも早く!と決断をさせた園長先生。 療養中も、時折、小学校の運動会に顔を出してくれて、教え子たちの成長をぶりを眩しそうに見つめたいた。 「●●ちゃん(息子のこと)、元気そうですね。」「はい!相変わらずですよ~。すくすく育っています(^^;)」「今も?」「ええ、虫が好きですよ~ 虫博士になりたいって言っていますよ~」「うふふ。じゃあ、レゴも?」「ええ、今も、大好きですよ~~。」 直接お話ししたのは、それが最後でした。 私は、いつか先生にあったら、こんだけ頑張ってみました、こんだけ、努力してみました、ここまで、育ちましたって、息子のことや娘のことを、胸張って話せる自分になっていたいと、常に思っていた。 でも、もう会えません。 「天国に子供が増えちゃって、幼稚園の先生が足りなくなって、神様が、先生をお呼びになったんだね、きっと。」と、息子に言ったら、あの日、号泣していた。だって、保育が天職だった先生。だから、天国で保育の職についているんだよ。 青いお空を見ると、いろんなことを思い出す。おばあちゃんのことも、おじいちゃんのことも、先生のことも。お空から、いつでも 見られているんじゃないのかな?ちゃんと生きていないと、さぼっているのがばれちゃうかも・・あ~、今日は子供を叱りすぎたけど、これも、見られちゃったよな・・・・そんなこと思いながら、洗濯物を干したり、取り入れたりする。 あと3年くらいしたら、私、先生より、お姉さんになっちゃいます。    

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