カテゴリ:SEIJIが書いてた時の記事
私はずーっと人間には3つのタイプがあると思っていたのですよ。それを今までは便宜的にというか、ありがちな表現で「リーダー」「マネージャー」「スペシャリスト」というような感じで言ったのですが今日もっといい表現を見つけました。「兵」「将」「主」 順番は逆ですけど。
「兵」に要求されるのは「目の前の敵をいかに倒すか」だけです。そのためには当然、上官の指示を的確に理解し、与えられた命令をどれだけ忠実にこなせるかが重要。つまり兵には「いかに効率よく敵(仕事・タスク)を倒すか」という【戦闘能力】のみが求められるわけです。 「他のことは一切考えるな。ただ目の前の敵を倒し続けるのだ。そうすればお前はいずれ一騎当千の勇者になれるだろう。」 これが日本人なら誰もが小学校から社会人になるまでずーっと叩き込まれ、それ以後も社会に長きにわたって求め続けられるのが兵の道だったりします。
それに対して「将」に要求されるのは戦争というビジネスをいかに遂行し成果に結びつけるかということ。与えられた「兵員」「戦費」「資材」の範囲内でどうやって定められた目的を達成するか。もちろん「将」が前面に出て討ち死にでもしたらいきなりその戦争ビジネスは終了ですから「将」自体の戦闘能力はあまり問題ではありません。 それよりも「兵」を手足のように扱える【指揮能力】と刻一刻と変化する「戦場」に対応する【判断力】、そして最も損害(コスト・労力)が少ない形で目的を達成する【戦術】。これらを身に着けた「将」でなければいかに配下に精強で鳴らす強兵を集めたところでその戦争ビジネスはかならずしも戦果をあげるものではないでしょう。 また将は戦場においてのみ、より平時の作戦立案においても重要な役割を担います。よく「戦略の誤りを戦術でとりかえすことができない」と言うように、戦争の勝敗は現場での「将」の働き以前に平時において【戦略】を定める「軍議」において既に決まっていたりします。「軍議」の席において勝利を目標とした有効な作戦をいかに提案できるか。この【作戦立案能力】も「将」の重要な資質の一つです。
そして最後に「主」 日本語には「盟主」「君主」「藩主」などいろいろの種類の「主」がありますがそのいずれも頂点に立つものをあらわします。「主」は自分より有能な「将」を従えなければなりません。つまり「主」は他の人間に「この人のためならば」と思わせる一種の【カリスマ性】をもっていなければなりません。一般によく言われる三国志でいうならば劉備の【魅力】、曹操の【才覚】、そして孫権の【血統】など人をまとめる何かが「主」が「主」たりえるには不可欠です。また戦略面においても「将」から提案された作戦の中から最適と思われるものを採用する【慧眼】を持っていなければなりません。決して正しい答えを知らなくてもいい。正しい答えがどれであるかを見出せる目があればいいわけです。
この3つが揃ってこそ組織は成り立つのだと思うのですよね。
しかし軍議の場が「兵」による「にわか戦術論」に支配されるようではお話になりません。そういう意味では「将」も「主」も圧倒的に不足しているというしかありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.01 19:25:37
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