カテゴリ:SEIJIが書いてた時の記事
デスクトップの修理完了。部屋の整理と相まって本調子になって参りました。手伝ってくれたやな、ありがとう。
ちょっと考えてみました。私はなぜこのblog書いてるんだろうって。最初、URLを自由に決められるのに困って「じゃぁ今日の日付で」としたのでもう3年以上経っていることがわかります。まぁかわいい女の子じゃあるまいし男の日常なんて書いても読んでもつまらないだろうと思ってなんか日々思いついたことを書いていたらえっらい「俺の話を聞け!」的なオピニオン臭の強いblogになってしまいました。
よく男は自分を「大物だ」「デキる奴だ」と思わせるために堅い話や難しい話をする、という話を聞いたことがあるのですが、私はどうもそれではないようです。だって見られたくないですもの。こんな文章。だからなんか知ってる人に読まれるようになってから堅いコトが書きづらくて仕方ない。私はバカなことをいつも言ってて、いつも聞いててそして「ウッヒャッヒャッヒャ」と笑っている、そういうつまらない冗談と軽いセクハラをこよなく愛する人というのが私の望む姿ですがここのテンションとあきらかに違う。それが恥ずかしくて仕方ない。
なのに、なぜ書いてるんだろうかと。
それを以前、放送部通信で書いた時に気づいたんですよね。「ああ、俺がblog書いてる理由はコレだって。」
私、何度もいいますが常に何かを知っていないと気がすまないのですよ。文字情報もそうですけど日常であったあらゆる出来事や風聞に勝手な分析や解釈を加えて一人で勝手に何か学んだ気になっている。そういうように私は毎日何かを知り続けてなければ、学び続けてなければ、という変な脅迫観念があるのですよね。だから、いうなれば私の日常はインプット過多。んでたまに長距離のドライブしながら考えゴトするわけです。一人で。そうすると外から入ってきた膨大な量の情報が今度は自分なりの解釈と思想のもと再構成されてくる。すると今度はどこかに出したくて仕方なくなるわけです。
だから私が心許す人とドライブしているときは私はしゃべりたくります。ぜったい嫌われるのでやめようやめようと思うのですがそれでも一人でしゃべり続けます。たぶんいろんなこと、あふれんばかりの情報や思想を外に出したくて仕方ないのでしょう。いつもしゃべりすぎて自己嫌悪になるぐらいしゃべります。ただ、そうやってしゃべってる時いつも思うわけです「ああ、私はこの人に話してるわけじゃないな。」「自分で言って、自分に言い聞かせてるだけだ。」
人に話すときは思いついたことをその順にいい散らかすだけでは当然伝わらないのである一定の論理性を必要とします。それは頭の中で考えてるときより何倍・何十倍のしっかりとした校正が必要となります。すると今度は自分でしゃべっていて自分が納得するわけです。「ああ、なるほど、そういうコトだったのか。」って。なので人と話してるとき、私が一番勉強になってたります。んでそこまで言ってようやく自分が相手をおいてけぼりにしてることに気づくのですよね。「あ、ごめん。今、自分に向かって話してた」って。(冷静に省みると相当な変人ですね・・・。私。)
で、そういう役割をこのblogが担ってたんだなって。誰かに見せるわけではない。でも誰かに見せる文章を書く、誰かに理解してもらうためにはある程度の論点整理をしなければならない。その中で気づくことも多いし、なにより自分で読み返して「うむ、そうだ。私は正しい。」と自分の理念の強化につながります。そうやって確たる考え、強い信念が生まれる。だからこそこうやって続けてこれたのだなって。
よく考えてみればこの3年、人の意見に左右されることは少なくなりました。「私は私なのだ。」と強く言えるようなった。これもこのブログの影響なのかもしれません。まぁ人の言うことを聞かなくなったとも言いますが。
ということでこれからも人に話す体を続けながら自己満足の文章書き続けますのでヨロシク。それじゃ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.13 22:12:30
|
|