ちょっと昨夜から環境的なダメージがあって気が沈み、今日は、しても仕方ないと思ったけれど昔の自分とチェロを振り返った。そのとき書き留めていた断片的な日記にレッスンで先生に褒められたこと注意されたこと、亡くなった友達とのピアノの合わせのこと、チェロへの気持ちなどが書いてあった。あるところには「チェロはもっと私のそばにしっかりいてほしい」と書いてあった。なにか無邪気な関係があった。勢い、大きさがあった。まだ始まったばかりで新鮮だったけど、でも今と同じ悩みもすでに始まっていた。10年くらい前でその日記は止まっていて、その後はこつこつと練習してほとんどプライベートの時間はチェロのために費やしていたのだけど、やはり悩みは解決されることなく停滞していたのだと思う。それはすなおに認めなくてはならないのだろう。今の私にとっては停滞でしかないけれど、将来の私にとってそれは停滞ではなかったと思えるようなそういう行動をこれからの毎日とっていけばそれでよい。もしくはこの停滞と幸せにつきあっていくことを見出せばよいと思う。
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最終更新日
2008.06.16 22:20:32
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