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昨日そう思って、今日確認してやっぱりそうかもと思った。
弓のことで、よく力で弾くのではないとか、重みだけをかけるとか、抜くとか、いろいろ言われる。最近今までとちょっと違う音がするようになって、個人的には「鰹節削り」の発見が大きなきっかけになっていると思っているが、昨日くらいにハイドンを練習していてふと弓を遊ばせるようにすればいいのだと感じた。先生にしっかり持ちすぎると捕え損ねると言われてそれがすごく印象的でうまく弦がとらえられない時は力を入れないように注意していた。そうしたらふと右手で弾くというより弓が無重力状態で遊ぶような感じで動くのをただ右手はちょっと手伝ってあげる感じにすればいいのじゃないかと思った。重力が欲しい時には重みをあげて、上に行きたいときにはちょっと持ちあげてあげたり、方向づけをしてあげたり、勢いをつけてあげたり。まあつまり右手で弾くということなのかもしれないけど、主体は右手でなく、弓である気がした。バトンガールのバトンプレイのようにバトン自身があたかも動いているような、重力を感じさせない遊び。例えばC線からG線を乗り越えてD線に行く時はちょっとそこに放り投げてあげるくらいのノリで、そのためにちょっとコントロールするという感じ。まだ確かではなく実験確認中だけど、自由になっている感覚があるときにはこの遊ばせる感覚がある気がする。弓が楽しんでいると私自身も楽しい。 今日はエチュードの1弓スタカートでちょっとむきになってしまった。昨日やったよりもうまくいかなくて、何度も何度も何の対策もなくやみくもに練習してこれではだめだと思いながらもむきになっておんなじことをやっていて、原因と対策の対応ができなくて自分でも変な所にはまってしまっていると思いながら、抜け出せない。結局抜け出せなかった。なんでだろう。なんでだったのだろう。また明日。 ハイドンのCdurはいっぱいYou Tubeに出ているのだけど、Ddurはなぜかロストロポービチのくらいしかない。ロストロポービチだとなんだか普通にあたりまえに弾いていて(上手すぎて)私の感覚がおかしいのか、なんかひっかかってくるものがない。あんまり参考にならない。昨日そこでCdurだけどちょっといろいろ見ていたらウイスペルレイの演奏を見つけて聴いた(見た)。これがすごく魅力的だった。ウイスペルレイももちろんロストロポビチと同じくらい上手に見えるのだけど、1つ1つが引っ掛かってきて、音に魅力があって、ハイドンもイキイキとして、退屈しない。やりすぎてはいないと思う。不自然ではなくてちゃんとクラシックとしての説得力はあるのだけど、ついつい最後まで聞かずにはいられないという感じの演奏で、やっぱりウイスペルレイっていいなあと思った。ずっと前に木場のほうの小さなスペースでバッハの無伴奏全曲を聴きに行ったことがあった。天井を見上げるとガラス窓がついていて、そこに鳩の影があったり、なかったり。そんなガラスの上のどんよりとした空を見たりしながら聴いていたように思う。6曲セットの6組曲、計36曲を弾き終えた後のアンコールは、1番のプレリュードだった。そのメッセージに涙がでるほど感動した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.02.25 21:26:41
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