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只今3℃の上海
雪も降るなんて 予報もあれど とりあえず降ってませんが 昨日から 風も強く さぶおます さて 思い出シリーズ 名古屋で 中学1年生まで過ごし 次に引っ越したのは 岐阜県 木曽川に面した 郡部の田舎町 中学2年生になる春に 名古屋から転校し 親父がそこに根付こうと この街に 家を構えたので おいらにとっては いわゆる 実家となったわけです 親父は 若い頃 牛の獣医をしていて 当時 この町は酪農家が 何軒かあり その関係で 町の長老たちと知り合い 可愛がられ、多兄弟の末っ子の親父が この町を根付く町と 選んだと 知ったのは 随分 後になってからのことです 名古屋から 転校してきた時は まさに 思春期真っ盛り 教室で 先生に紹介を受け 席に着き 最初の 休み時間に おじい と皆に呼ばれている 小柄な 奴が やってきて いきなり ペッと 唾を おいらの顔に かけるという 強烈な歓迎を受けたことから この街での 生活が スタートしたのですが そんなこと書くと イジメ? それが 全然で いわゆる その行為はもっと 幼い、じゃれあいの 感覚で おじいとも 同じ野球部で すぐ仲良くなったし 転校してくる前の 名古屋では 10クラス以上で 1クラスが43人とかいたのに ここは 2クラスで 1クラス29人 瞬く間に 同級生に 溶け込み なにより みんな 朴訥としていて 呼び方も ひさべえ、 はやべえ、 まさべえ、 の べえか みのさ、 とくさ、 なーさ、 の さとか 江戸時代か と 突っ込みたくなる そんな のどかさが おいらには 水があったのです 特に おいらたちの学年は 他の学年に比べ 男子も女子も隔てなく仲がよく それは 今も 変わらず 上海にも 上海同窓会だーーと 50歳になる時に 13人もの同級生が 来てくれたり 岐阜でのLIVEの時にも 何人か 駆け付けてくれます 高校2年からは 親父に 札幌転勤の辞令がおり おいらは隣町の おばさんの家の離れで おばさんと おばさんの孫3人と 実家から連れてきたネコと 一つ屋根の下で暮らし 高校に通ったのですが 思い出というと 山ほどあるんですが、リアルに覚えてるのが 中学 高校と ずっと坊主頭で あるとき どうしても どうしても エロ本が 欲しくて 本屋さんといえば 駅前通りの M書店だったんすが お客さんも多いし 目だつからと 旧街道にある いつも おばあさんが店番している 小さな書店にめぼしをつけ あそこなら ばれねーーべと 当時1軒だけあった スーパー で 500円の 1番薄い紫色の サングラス買い 野球帽だと 子供っぽいだろうと ベージュの無地の帽子も買い 親父の 地味なジャンバーを着て エロ本も 欲しかった すんごい表紙の、いかにもの やつだと まずいかなと 水着の女性の表紙の 割と地味めなやつと 外人さんの表紙のやつ2冊で 我慢をし 自然に 自然に 普通に 普通に と 呪文をとなえながら レジに エロ本を出した時 レジにいるおばあさんが ずりおちた老眼鏡の フレームの 上から 裸眼を 寺内貫太郎一家の時の 樹木 希林さんみたく ギロッと光らせ 「兄ちゃん 高校生やろ・・」 あの 声色まで はっきり 耳に残っている おいら 思わず 「いや・・ 義父に頼まれ・・」 そんな岐阜での 思い出です なんて 言うわけあるかーーーっ の ポチを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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