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2020末法元年                   ボンゾー(竺河原凡三)の般若月法

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2007年03月16日
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カテゴリ:仏法
 身と心が曲がっている人が、『法華経』を必死に読んでも、何も感ずるところがないから不思議である。そのようなやからに対しては、この経文は、ただの漢文にとどまるのである。欲の塊のような人、人を呪う人、思いどおりにならない世界を呪う人が、経文を呪術の道具として用い、効果のないことをいぶかり、瞋恚(しんに)の気持ちを抱くと、この経は、仇(あだ)をなす。20世紀は、軍事思想と各種新興宗教の影響で、一見この経文が流布したように思えるが、そういうふうに経文はおもちゃにされた時代でもあった。やれハルマゲドンだの、やれ日蓮本仏だの、教祖本仏だのと、『大集経(だいじっきょう)』の「月蔵分(がつぞうぶん)」、すなわち『月蔵経』に説かれる白法隠没(びゃくほうおんもつ)をいいことに、戯論(けろん)が喧伝された。そんなことはいっさい、経文には書かれていない。

(以下本文は、一定期間を経過しましたので削除いたしました)





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最終更新日  2007年08月17日 02時31分33秒


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