2023/04/28(金)00:00
089.養老先生、再び病院へ行く [ 養老孟司 ]
書名
養老先生、再び病院へ行く [ 養老 孟司 ]
引用
生まれたときも、気付いたら生まれていたわけです。予定も予想もしていなかったことです。死も「気が付いたら死んでいる」でよいのではないでしょうか。しかも死んでいることに自分が気付くことはありません。
感想
2023年089冊目
★★★
・養老先生、病院へ行く [ 養老孟司×中川恵一 ]
の続編。
愛猫「まる」がなくなって2年。
養老先生が心筋梗塞で入院してから2年半。
の、「その後」の話。
今回の巻末鼎談は、作家・阿川佐和子さん。
前回同様、中川医師と交互に書いている、その「え、どっち?」というのが一瞬わからなくて混乱した。言っていることはだいたい前と同じで、養老先生ファンへの近況報告という印象。
死生観が独特だなあ、と思う。
これは法医学をしていたり、医師だからということもあるんだろうか。
アジアでの死生観も、欧米とは違う(フライドチキンになった鶏の供養を年1回しているKFCは、世界でも日本だけなのだそうだ)。
外科の講義で、養老先生は「1週間様子を見る」ということを習ったんだそうだ。
そうするとよくなるか、わからなくなるか、分かる。
昔の医療はそれで「1週間様子を見る」ことが出来た。
今はもう、ガイドラインに沿って診察して白黒つけないといけなくなってる。
私は病院が嫌いで(だって医者ってだいたい怒るやん。あれがあかんこれがあかん、あれしろこれしろ言うやん。私のことなんも知らんくせに)、めったに病院に行かない。
ものすごく具合が悪かったら、よく寝る。そうして治るのを待つ。獣か。
1週間くらい様子を見ていると、だいたい4,5日くらいでよくなる。
たとえそれが医者にかかって3日になろうと、私は病院に行きたくない…。
それで治らなかったらようよう行かなあかんということやな。うむ。その時は諦めよう。
がんは「死が予見される」という点で良いというのも目からウロコ。
がん宣告=不幸、みたいな図式があるけれど、そうじゃないと中川医師は言う。
比較的長い間、身体の機能が保たれ、年単位の猶予がある。
確かに、急に死を迎えることを思えば、これってかなり「人生のしまい方」を準備するだけの時間がある、「よい死に方だ」とも思える。
老人への延命治療についても、「死期が迫ると自然と食欲がなくなり安らかに死ねるのに、そこに無理に栄養を入れたりすることは患者のためになるのか?」とあった。
・ねこマンガ 在宅医たんぽぽ先生物語 [ 永井康徳 ]
・ねこマンガ 在宅医たんぽぽ先生物語 おうちに帰ろう [ 永井康徳 ]
を読んだときにも、人は死期を前に身体を空っぽにしようとする、そこに点滴を打つと苦しむことになるとあった。
「日本の医療現場では死は敗北」になっているとも。
がんは死ぬまでの準備をする時間がある。
けれど養老先生は、終活には反対なのだそうだ。
それは驕りだという。
残されたものに迷惑をかけるなという、その迷惑を順送りにしていくのが人生だ、と。
これは、残されたものからしたらたまったものじゃない(特にモノ)けれど、ある意味では真だと思う。
「迷惑をかけたくない」は「迷惑をかけられたくない」とも表裏一体である気がする。
人は皆いつか死ぬ。絶対に。
それから逃れられた人はいない。
生まれたばかりの赤子は、ひとりでは何も出来ない。
迷惑をかけることしかしない。
それを誰かが助けて、大きくなる。
自分が誰かにそうやって、助けてもらったように。
死もまた、同じなのか。
物言わぬ死者は、何も出来ない。
そうやって誰かの面倒を引き受ける。順繰りに。順送りに。
自分が誰かにそうやって、送られる日のために。
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