|
カテゴリ:カテゴリ未分類
☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。 世界中のすべての方が幸せにありますように! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆ 2020年 令和2年 4・19(日) 日本人の宗教観を考える 幸せに宗教は必要か(1) 姫野です。 今日京都はくもりのお天気でした。 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。 今日は近くの「くら寿司」で、茶わん蒸しと あおさの赤だしで5皿お寿司をいただきました。 (996円) あおさの赤だしは、僕にはいまいちでした。 僕は普通の味噌汁の方が好みですが なぜか赤だししかメニューにないお店が 多いのが残念です。 その後、山科川の岸辺を散歩しました。 菜の花が目立ちます。 そぞろゆく 春の水辺の したわしき あるがままある 草花の色 修一郎 さて 僕は日本と日本人が好きです。 多くの日本の方がそうなのではないか と思います。 これは、単なる素朴な郷土愛だけでなく 日本は世界でも暮らしやすい国のひとつ だと思います。 そして僕は、これからの幸せな世界秩序を 支える思考は日本から生み出し発信していく のがよいのではないかと考えています。 というのも、人はある程度の豊かさを 経験しないと、「人生は単に金ではない」 「酒」や「異性との性的悦び」などの快楽を ただ求めるのが幸せではない。 といっても、それに今飢えている人には 聴く耳や説得力は少ないと思うのです。 世界では宗教を持つのが普通です。 日本のように 「私は無宗教です」と胸を張って言う 人が多いのは異常です。 というのも、宗教はその人の行動規範を 推測できます。 知らない者同士の間では、 宗教を持っている人の方が安心できます。 「無宗教です」などというと、極端に言えば 「私は倫理道徳を持たない人間です」と 言っているようなもので、危なくて 付き合ったり、仕事で採用したりする ことをためらわれてしまいます。 でも 今の日本では宗教のイメージがよくないのです。 明治以降の国家神道、天皇陛下を神とあがめ 天皇の命令と言われれば絶対服従を強いられた 苦い不快な思い。 また、教祖への個人崇拝・教団への絶対服従を マインドコントロールされる恐怖や嫌悪感が あります。 ですから、日本では「無宗教です」と言った方が かえって安心される。という面があります。 しかし 人生は選択と決断の連続です。 単にビジネスの場面だけではなく ごく身近な例でも、「今日は何を食べようか」 「何を着ていこうか」 ということでも 「どこの大学に行くか」「どんな仕事に就くか」 「この人と付き合うか、結婚するか、しないか」 などなど、 すべてに選択して決断していく必要があります。 選択するからには、そこには何かしらの判断基準 が必要です。 私たちは、知らず知らずに、 何かしらの自分の判断基準を 使って生活しています。 みんなが幸せに暮らすためには よい判断基準を自分が持つ ということが大切になります。 「無宗教です」というからには 特定の宗教の教える判断基準は使いません。 ということです。 では、多くの日本人はどういう判断基準を 持っているのでしょう。 あなたはどんな判断基準で 選択と決断をしていますか? つづく… ではでは 愛を込めて! 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro) ana38655@nifty.com 今日も笑顔でニコッとね。 何であれ、そこに愛が流れてこそ
はじめてこころから楽しくなります。 幸せはごく自然な あなたの命の本来の属性です。 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」 http://siawase1.at.webry.info/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.04.19 23:47:16
|