カテゴリ:第二子妊娠生活
出産してから、なんだかよくわからないままもう一週間。
まだ一週間なんだけど,きっといつの間にかあっというまに1ヶ月とか経っちゃいそうで、さらに記憶も薄れちゃいそうなのでちょっとずつでも「出産時のこと」を記録に残しておこうと思います。 8月22日(出産前日) その日は娘の学校初日。 夫と娘と、二日前にお手伝いに来港した母と家族全員で緊張しながら初登校。 実は朝から私はなんだかお腹が痛かったのだけど,初登校だったし,夫が「今日は会計士と大事な約束があるから今日は無理!」(そんな...)っていうものだから、気のせいだと思うようにした私。 ...最後までスパルタな夫。 午後はお友達が遊びに来てくれ,賑やかに食べておしゃべり。 産まれるまで、今のうち、今のうちが合い言葉のように連日忙しかったけれど、今か今かと過ごすよりもずっと気楽に過ごせていたので、お友達に感謝。 そのまま夕飯は焼き肉を食べに行く。 そして、焼き肉やでおしるしと呼ぶには多すぎる出血。 慌てて家に帰る。 お友達と一緒でよかった! 夫にも帰って来てもらい,私はシャワーを浴びて入院最終準備。 電話して...などではなく、直接病院へ来い,とのことなので帰宅した夫と直接病院へ。 娘、自分自身も寂しかろうに,気丈にも私を励ましながら見送ってくれる。 お互い,ちょっと泣きそうな顔でお別れ。 午後九時頃、病院でパジャマに着替え,ベッドでノンストレス検査&内診。 出血止まらず,陣痛らしき痛みも強くなってきた...と思っていたのは私だけ。 看護婦さんには子宮口も開いてなければ、陣痛も弱過ぎと言われるけれど、出血が多いのでそのまま入院。 午後10時半頃、夫はビールなんて飲んでるから出血したんじゃないの~??と嫌みを残し帰宅。 オオカミ少年にならぬよう、何が何でも陣痛を起こそうとスクワットに励む。 眠れない...スクワット...眠れない...スクワットを繰り返す。 午前12時頃、スクワットが効いたのか,あきらかに陣痛が強くなる。 無痛分娩、とにかく無痛分娩,と言う事で,看護婦さんに「エピデュラル、下さい」とお願いするが,子宮口指1~2本(この指1~2本という表現、よくわからない)しか開いてないと却下される。 その後,余りの痛みに泣き叫びながらエピデュラル希望するも、やはり子宮口が開かず却下...を、繰り返しつつ次の日の朝を迎える。 8月23日(出産当日) どんだけ頑固なんだ、子宮口! とにかく痛い。5~8分ごとに叫ばなければ耐えられない程の痛み。 注射を打ってくれるが、全く効かず。 朝になっても子宮口は開かず指1~2本。 さらに、麻酔医が11時まで来ないと言われ、痛みだけじゃなく絶望感に泣き叫ぶ。 同じ病室の人が,音楽を聴くか?とか、お水飲むか?とか、気を使ってくれる。 ありがとう、うるさくってごめんなさいね。でもね、痛いの~~~! 音楽もお水もいらないから、麻酔を~~。 朝ご飯にひき肉の入ったお粥が出される。 食べれなくもない...気もするけど,やっぱりお肉が臭い気がして食べれなかった。 食欲も無かったので,一口でやめる。 そして11時をひたすら待つ。 麻酔医が来ないとわかっていても,看護婦さんにしつこく「痛い痛い、エピデュラル~」と泣き叫びながら、待つ。 こんなはずじゃなかったのに。 無痛分娩で余裕で出産のはずだったのに! 12時間ひたすら苦しみ,ようやく麻酔医参上らしく分娩室へ運ばれる。 このあたり、すでに記憶不確か。 疲れる前に、切りのいいとこで...。 また忘れる前に、続きを書こうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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