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期待を捨てる New! かめおか ゆみこさん

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ひろっち@ Re[2]:「声と子育て」(大きな声より静かな声の方が伝わりますよ)(07/20) New! 森の声さんへ ありがとうございます。 …

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森の声



(私のブログはコピー・転載自由です。お知り合いに紹介してください。)
<子育てと幼児教育は総合芸術です>

子どもは丸ごと育ちます。
心だけ育てることはできません。
知性だけ育てることもできません。
言葉だけ育てることもできません。
からだだけ育てることもできません。
とにかく丸ごと育つのです。
ですから、
大人も丸ごと子どもと関わる必要があるのです。
そして、丸ごとの学びが必要なのです。


* * *

私は子どもの笑顔、子どもの笑い声が好きです。
ですから、私は子どもの笑顔見たさに、色々なことを考えたり、活動しています。
キーワードは、遊び、子育て、教育、シュタイナー、感覚、からだ、心、生命、造形、仲間作り。
(シュタイナー的ではありますが、シュタイナーの紹介を目的としたものではありません。シュタイナーに共感した部分で書いています。)

* * *

アマゾンの方から以前文庫本で出した「子ども発見」の改訂版を出しました。
詳しくは、こちらのブログをご覧になって下さい。

「わらべ歌」のCD付き冊子も出しています。
子育て関係の手作り冊子も出しています。

******

他に「ネネムの森」というホームページも運営しています。

これは私が茅ケ崎でやっている子ども対象、大人対象の様々な活動の紹介がメインです。
講演会やワークを主催して頂くときの条件なども書いてあります。
随時生徒を募集しています。 お問い合わせ下さい。

* * *
<出張ワークもやっています>

色んな地域、公民館、地区センターで気質、親子遊び、造形ワークショップ、からだ遊びワークショップ、お母さん達の勉強会(気質、子育て)、幼稚園の先生などの勉強会をやっています。
公民館や地区センタに企画を持っていったり、仲間を集めてお呼び頂ければワークの出前をします。お問い合わせ下さい。
みんな体験型のワークショップです。

検討して頂ける方は「こちら」をご覧になって下さい。どんなワークをいくらぐらいで呼べるのかが書いてあります。>

ただし、予算が難しい場合は、状況に応じて相談に応じます。お気軽にご相談下さい。

2019.07.23
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カテゴリ:カテゴリ未分類
子どもはよく、お母さんに「なんで?」「どうして?」と聞いてきます。

なんで夜が来るの?
なんでリンゴは落ちてくるの?
なんで人は死ぬの?
なんで手を洗わなければいけないの?

とか、
どうして人は死ぬの?
どうして僕は生まれてきたの?

とかです。

子育てワークでもお母さん達に「子どもがこういうことを聞いてきたらどう答えますか?」と聞いています。

するとほとんどのお母さん達は、自分が知っている知識でそれに答えようとします。

「なんで夜が来るの?」と聞かれたら、「地球が回っているからよ」とか、「なんでリンゴは落ちてくるの?」と聞かれたら「重力があるからよ」とか、「風が吹いたからよ」とか、「熟したからよ」とかいうようにです。

でも子どもは「つながりから切り離された静的な知識」になど興味がありません。子どもは「つながりに支えられた動的な理由」が聞きたいのです。(意味不明でしょうけど後日説明します)

さらに、「どうして人は死ぬの?」とか、「どうして僕は生まれてきたの?」になると、単なる知識では答えにくくなります。人間の理解を超えた世界の出来事ですから。

科学は「死の仕組み」や「生の仕組み」は説明できても、「なぜそれが存在するのか?」ということに関しては答えを持っていないのです。

(「生」や「死」を説明するためには、「つながりに対する理解」が必要になります。「つながりから切り離された静的な知識」では説明できません。)

それを説明するために生まれたのが「宗教」と呼ばれるものです。だから科学がこんなにも進んだ時代でも宗教を信じている人がいるのです。

そしてだから、宗教が消えてしまった社会に生きている大人には「どうして人は死ぬの?」とか、「どうして僕は生まれてきたの?」という質問に答えることが出来ないのです。

本来、科学と宗教は、「対立する関係」ではなく「補い合う関係」だったのです。「宗教の中から科学が生まれた」という歴史的事実がそのことを示しています。

東洋でも西洋でも、古来から科学的な知識や技術を守り伝えてきたのは宗教者なんです。宗教者は同時に科学者であり医者でもあったのです。

実際、ウィキペディアで「ニュートン」を調べると「神学者」という肩書きも書いてあります。

人は「どっちが正しい」という議論をしたがりますが、でも科学と宗教では元々の役割が違うのです。科学は宗教のように「安心」を与えてはくれません。宗教は科学のように「世界の仕組み」を教えてはくれません。

でも、人々が「宗教による安心」よりも「豊かさによる安心」の方を求めるようになると、宗教はその必要性を失ってしまいました。

でも、「豊かさによる安心」は同時に「豊かさを失う不安」とつながっています。だから更に豊かさを求めるようになります。そして、欲望をかき立てます。

宗教が嫌いな人は「宗教が戦争の原因になっているから嫌いだ」と言いますが、科学は「効率的に人を殺す道具」として使われています。実際、「戦争が科学の発達を促してきた」という側面は大きいのです。

だから、実際にはどっちもどっちなんですが、でもそれは「正しい宗教のあり方」ではないし、「正しい科学のあり方」でもありません。

そこで必要になるのが「教育」ということなんです。
ちゃんと事実や現実や全体を見て、不安や欲望に振り回されなくなるための教育です。

「競争に勝つための教育」ではなく「自分の不安や欲望に振り回されないための教育」です。
この教育を失ってしまった社会では、人々は「自分」を守るために、「自分の欲望」を満たすために、競争し、戦います。

そして、「不安」に取り憑かれて生きるようになります。「競争に勝つための教育」に子どもを追い立てたりもします。

でもそのような教育に「子どもを育てる力」はありません。なぜなら最初から「育てること」が目的ではないからです。

宗教も、科学も、道具に過ぎません。宗教は安心を得るための道具であり、科学は豊かさを得るための道具です。

経済も政治も同じです。

そして「道具」はその使い方を間違えると悲劇を引き起こします。包丁は、「美味しいお料理を作るため」に作られているのですが、使い方を間違えると悲劇が生まれます。

そこで「包丁は善か悪か」という議論をしても無意味ですよね。
「包丁」が「美味しいお料理」につながるか「悲劇」につながるかは、包丁の問題ではなく、その道具を使う人の問題だからです。

どんな道具であっても、使い方を間違えれば多くの不幸が生まれます。それは、宗教でも、科学でも、政治でも、経済でも、言葉でも、お金でも、様々な知識や技術でも同じです。

でも、正しい使い方をすれば、人を幸せにすることが出来ます。
言葉は、人を傷つけるために使うことも出来れば、人を喜ばせるために使うことも出来ます。

だからこそ、「その道具を使いこなす能力を育てるための教育」が必要になるのです。

人間だけでなく、全ての命あるものが幸せに生きることが出来る世界を創るために「教育」が必要になるのです。


でも実際には、「道具を使いこなす能力を育てる教育」ではなく、「多くの道具を手に入れるための教育」が主流になってしまっています。

そして、道具の使い方を学ぶことが出来ないまま大人になった人達は、道具に振り回されたり、道具で人を傷つけたり、自分自身が傷ついたりしています。

このまま進めば、人間は自分たちが創り出したものの力で自滅してしまうでしょう。
それもまた歴史が証明していることでもあります。

皆さんはお子さんから「なんで勉強するの?」とか、「なんで学校に行かなきゃいけないの?」と聞かれて答えることが出来ますか。






Last updated  2019.07.23 08:28:11
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