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2007年03月21日
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カテゴリ:そば雑学
神田藪そば、並木藪そば、池の端藪そばの3軒を称して
藪御三家とういう。

そもそも藪そばは、蕎麦屋を代表する暖簾の1つである。
そして「やぶ」を名乗る蕎麦屋は各地にある。

しかし、商標登録されている「砂場」などと違って、
「やぶ」の場合は暖簾名が同じでも、ひとつにくくることはできない。

御三家のもとになる「やぶ」は江戸時代末期から明治の東京で名店と
いわれた「団子坂藪蕎麦」になる。 この店の正式な屋号が「蔦屋」というのは
有名な話らしい。

もともとは、竹やぶに囲まれているところに店があり、「やぶそば」と呼ばれるように
なったそうだ。
しかし、一世を風靡した名店「団子坂藪蕎麦 蔦屋」は明治39年突然廃業をする。

そして、浅草蔵前のそば屋「中砂」四代目堀田七兵衛氏が、神田区連雀町にあった「蔦屋」の
支店を(団子坂支店・藪蕎麦)を譲り受けた。これが現在の「神田藪蕎麦」のはじまりである。町名が変わるまで、「連雀町藪蕎麦」として営業していた。

また、堀田七兵衛氏の三男勝三氏が、浅草並木町で大正6年にはじめたのが
「並木藪蕎麦」になる。二代目を継いだ平七郎氏が、「並木藪蕎麦」の評価をさらに高めた。

そして勝三氏の三男である、鶴雄氏が上野の池之端で店をだし、これが「池之端藪蕎麦」になる昭和29年のことである。

こうして、「神田藪蕎麦」「並木藪蕎麦」「池之端藪蕎麦」が「藪御三家」と
呼ばれるのは、初代堀田七兵衛氏との血縁関係にあるからだそうだ。


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最終更新日  2007年03月21日 18時13分57秒
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