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本を読み続けよう

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Oct 26, 2020
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​​​​​◎お寺で座ろ 

令和2年10月24日(土)

坐禅時間 20分✖2 トータル 1150分


 田辺市下三栖の五郎地蔵寺では月に2回、坐禅会をしています。海蔵寺での坐禅会は週1回していましたが、感染症予防のため休止中なので、お寺での坐禅参加は五郎地蔵さんだけです。このお寺にはカフェ「五郎庵」があり、精進料理も食べれますよ😊

◎10月26日(月)

坐禅時間 20分 トータル 1210分

【今日のキラリ引用】

🔵「はじめての『密教的生き方』入門」 森崎 雅好

「~、自殺の危険が迫っている時には、意志するいのち、心、体、自分意識(自分意思)の四つが上手に連携することができていないのではないかと思います。
 意志するいのちは生きたがっているのに、心は辛く苦しい思いに支配され、体は自分の思い通りに動かなくなる状況にあるため、意思が混乱して体と心を捨てるのではないかという仮説です。
 ~
 心は、『死にたい』、『苦しい』、『もう駄目だ』と否定的な感情に支配され、体は『眠れない』、『だるい』、『痛い』という躍動感を失った状態にあります。自己の内部では自己コントロール不能という事態が生じており、他の選択肢を考える余裕がなく、『もはやこの状況から抜け出すしかない』という心理的視野狭窄の状況になっていることが想像されます。
 そのため、自殺とは、自分意識がその苦しさのあまり「死ぬために死ぬ」のではなく、『生き延びるために死ぬ』という逆説的な行動であるといえます。
 ~
 真言密教の教えに照らし合わせれば、意志するいのちとは大日如来であり、意思が執着と欲望によって維持せしめられている識に該当すると思います。意志するいのちに気がつかず、意思しているほうが自分だと思っているが故に、いつまでも輪廻転生すると考えることができます。」 





【あれこれ】

 今日の本は、知り合いのお坊さんが書かれた本。仏教の基本を書いてくれているので、自分のような、どこから手をつけてよいかわからないたちの人には、ありがたい。


 あっそうか。と気づくことも多く、煩悩だらけの心にカツを入れてもらえる。罪責感を抱えた自分にとっては、それが、私自身が勝手に自分を悪だと「思い込んで、名づけているだけだ」という話以外のなにものでもない。間違ったものの見方をしているだけ。本来の自分が清浄であることに気づき、苦しいと思う自分という形ある存在は、すべて流れ去るものであることを思えば、無明が明らかにされる道理に近づいていけるのだろう。



​​​​​





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Last updated  Apr 24, 2022 08:35:01 PM
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