「月まで三キロ」 伊与原 新 坐禅回数 673 筋トレ 5
月まで三キロ(新潮文庫)【電子書籍】[ 伊与原新 ]価格:737円 (2022/11/5時点)楽天で購入座禅の記録 R4.9/18〜10/26 記録消滅のため記録できていません。 10月27日から記録再開しました。筋トレの記録 10月27日から記録しています。 筋トレも継続のため記録することにしました。 内容はスクワット、かかと上げ、レッグマジック、握力、腕立て伏せ、ダンベル、ブルワーカーを30分~40分程度 レッグマジックレッグトレーニング レッグマシン、レッグマシーン、ダイエット、足、ヒップ、太もも、脚、尻、腹筋、ステッパー、目指せ美レッグ、マジック(魔法)のようにみるみる美脚!母の日のプレゼント価格:6,880円~(税込、送料無料) (2024/5/8時点)楽天で購入 ブルワーカーBullworker ブルワーカーXO ハードタイプ ソリッド FB2216 福発メタル トレーニング器具【筋トレ トレーニング フィットネス エクササイズ 健康器具 ダイエット 腕 二の腕 脚 足 運動】【あす楽対応】【メール便不可】[自社]価格:10,100円(税込、送料別) (2024/5/8時点)楽天で購入 【今日のキラリ引用】🔵「月まで三キロ」 伊与原 新 「何でまた、今から富士山に?」運転手が訊いた。「荷物をのお持ちじゃないし、遊びに行かれるようにも、お仕事にも見えませんけど」 白い ワイシャツに、スラックス。上着もネクタイもかばんも、財布すらない。怪しまれて当然だ。 「ー下見」無意識のうちに、もう一本くわえていた。 「下見って、何のですか。鳴沢なんて、氷穴と樹海ぐらいしかー」 そこまで言って思い至ったらしい。無理に口角を上げていう。「まさかとは思いますが・・・・・」 「月ってね、だんだん地球から遠ざかっているんですよ」「ですから、太古の月は、もっと大きく見えたんです〜」「この先にね。月に一番近い場所があるんですよ」 運転手の横顔から目が話せない。「〜あの子、『うん』とうなうなずきました。それが、最後の会話です。〜」 沈黙を嫌うかのように、運転手が立ち上がる。「乗り越えられない悲しみというのが、この世にはあるんですね」「星六花」 来年四十になる。やせっぽちの女。かわいい顔をしていないし、若々しくもない。服装にはそれなりに気を使っているが、オシャレとはとてもいえない。ダサい、オバさんくさい、と同僚から思われないように頑張っているだけだ。 一方、プライベートに関しては正反対だ。幸せになるために必要なことは何一つせず。二十代後半から三十代前半にかけての一番大事な時期を無駄にしてしまった。出会いの場のようなところには誘われても近づかなかったし、職場の独身男性たちにも淡白すぎるほどの態度をとり続けた。わたしのような目立たない女にとって。対象外になるのはたやすい.「アンモナイトの探し方」 さらに行くと、崖の向こうの川原にやっと姿が見えてきた。男が一人、こちらに背を向けてしゃがみ込み、右手で金づちを振るっている。足もとの石を叩いているらしい。長袖シャツの上に、ポケットがたくさんついた釣り人が着るようなベスト。カーキ色の帽子からのぞくえりあしが白い。間違いない。あれが戸川というおじいさんだ。 原因が何であれ、精神的な不調となると、とれる対策は限られている。医師の助言で、しばらく受験勉強を中断し、環境を変えて過ごしてみることになった。朋樹が参考書も持たず、一人でここ富美野までやってきたのはそういうわけだ。 意味はすぐにわかった。そんな話を祖母としているということは、離婚はもう避けられないのであろう。それは朋樹も覚悟していた。 朋樹の頭と心は、中に泥でもつまったかのように、機能を停止してしまった。あふれ出した泥が、とうとう体まで侵し始めている。朋樹が化石になってしまうのは、もはや時間の問題だったー。 〜朋樹は身じろぎもせず次の言葉を待った。「私はそのとき思い知った。わかるための鍵は常に、わからないことの中にある。その鍵を見つけるためには、まず、何がわからないかを知らなければならない。つまり、わかるとわからないを、きちんと分けるんだ」 ここへ来てわかったのは、ただ一つ。 このまま化石になってたまるかってことだ。「天王寺ハイエイタス」 〜兄貴は頬を緩めてかぶりを振った。「僕がやっているのは、古気候の研究や。海とか湖の底にたまった堆積物は、過去の環境を記録したテープレコーダーみたいなもんやでな。 来年、三十になる。兄貴のように迷いなく進んでいける道は、とうとう見つからず終い。哲おっちゃんのように、ワイルドサイドを歩く勇気もない。こうしてかまぼこ屋の三代目に落ち着こうとしている現状に、心のどこかで安心している。そんな自分のフツーさが、ときにたまらなく嫌になる。 「哲おっちゃんの堆積物の中にも、ハイエイタスがある。二十年間のうち、一年だけ」「エイリアンの食堂」 「らっしゃい」 謙介の声には何の反応も示さず、プレアさんはいつもの席についた。入ってすぐ左のテーブルだ。壁を背にして座るなり、パソコンを開く。 お冷を持ってその席へ向かう。先月四十一になった謙介と歳はさして変わらないだろう。細身で長身、肩までの黒髪をゴムで束ねている。白いシャツに黒いカーディガンを羽織り、パンツはグレー。パソコンの画面を見つめる切れ長の目には、何の感情も読み取れない。あらためてその姿を見ると、鈴花がおかしな妄想をする理由が何となくわかる気がする。 しどろもどろになった謙介の横で、鈴花が甲高い声を上げる。 「プレアデス星!」 「おい、鈴花」 「プレアデス星でしょ!本当のおうち」 鈴花は仕切りに手をかけて、プレアさんに言葉をぶつけた。 「例えば、このパソコンのボディ」プレアさんはシルバーの表面を爪の先で叩いた。「これは、アルミニウムと元素の粒ー原子と言うんだけどーが規則正しく並んでできている」 「アルミニウムは、磁石にくっつかない」鈴花が自慢げに口をはさむ。 「うん。で、電子をバラバラにすると、電子と陽子と中性子になる。陽子と中性子はさらにバラバラにすることができて、それをクオークという」 〜 「クオークにはいくつか種類があるんだけど、今のところ、それ以上バラバラにすることはできないと考えられている。クオークのように、物質のもとになっているような粒子のことを素粒子と言うの」 望美ならどうするだろうー。無意識にそんな想像をしている自分に気づいて、自嘲する。そもそも望美が生きていたら、こんなことになっていない。 望美の乳がんが発覚したのは、鈴花が三歳になってすぐのことだ。「山を刻む」 目の前に広がる弥陀ヶ池は、周囲の濃い緑を水面に映していた。そのほとりでは、何組もの登山客が腰を下ろし、談笑しながらひと息入れている。似たような格好をした、中高年のグループばかり。同世代のわたしが一人で紛れ込んでいても、目立つようなことはない。 腰を上げ、たすき掛けにしたカメラバッグから中身を取り出す。古い一眼レフ。三十年以上前に買ったものだ。 ここへ来ることは、家族の誰にも伝えていない。伝えたところで、誰も心配などしないだろう。食卓に残したメモには。〈山登りに行ってきます。帰りは遅くなるので、今夜のことはよろしく〉とだけ書いておいた。家出や事故ではないということさえわかれば、それで十分。 「火山ってのは、当たり前ですが、火口から出てきた噴出物が長い時間をかけて積み重なってできています。溶岩やら軽石やら火山灰やら。この日光白根山は、それぞれ違う時期に流れ出た、少なくとも十三の分厚い溶岩からなっている。例えばこれ」先生は手の中の石をこちらに向けた。 山を刻む。いい加減にシャッターを切りながら、その印象的な言葉を反芻する。 山を、刻むー。 わたしも、山のようなものだ。 家族みんなで、わたしを刻んでいる。わたしの心を。私の愛を。「特別掌編 新参者の富士」 会うのは半年ぶりだが、この子は相変わらずだ。昨夜になって急に、待ち合わせ場所を新富士駅から河口湖駅へに変更してほしいと言ってきた。おかげでこっちは四十分も余計に車を走らせる羽目になったのだ。 最後には異常な眠気で出社できなくなり、軽いうつ病と診断されて、退職。異動して一年ともたなかった。ワンルームマンション引き払い、静岡に帰る新幹線から見えた富士山が私を嘲た。 ふっふっふっ。やっぱりねー。 「日本海が開いて日本列島の原型ができたのは千五百万年前。日本アルプスの山々が隆起を始めたのが二、三百万年前ですからね。富士山なんて、まったくの新参者ですよ」【あれこれ】 自分は文系の人間である。といっても、文系の成績が良かったわけではないが、それにもまして、理系の成績は良くなかった。 だから、どちらかといえば文系かな、という類の人間である。 神経心理学という分野があるそうである。 脳に損傷のある患者さんから「こころ」と脳の関係について考える学問分野だそうだ。 「こころ」を「知・情・意」という三つの作用の集合にまとめる考え方である。 そして、「こころ」は脳が生み出す現象になる。 一般的な辞書等の解釈では、「こころ」は非常に多義的・抽象的な概念で、人間や生き物の精神的な作用のもとになるものを指し、感情、意志、知識、認知、記憶等を含みつつ、指しているとある。 それは、物質として存在しないその人や生物そのものの意識であり、生きていると明らかに感じるそのものとも言える。 この作品の中には、自然科学などの突きぬけた類の人が登場する。 天文、地質、気象、地層、火山など。 そして、同じように登場するのが、現代のストレス社会への耐性がなくなりかけた、陽の当たらない類の人たち。 この両者が、絶妙なバランスで中庸していく。 宇宙の中の太陽系、地球、世界、日本、都道府県、〜市、〜町、〜、そこに住んでいるちっぽけな人間。 その人間のちっぽけな脳のほんの少しの歪み。 そこからくる生活のしづらさを抱えながら生きているそれぞれの人間模様。 月や星を見上げる。六花を見つける。 アンモナイトを掘る。 山に登る。 人生の再出発のきっかけを与えてくれる機会が、自然科学と融合される。 固いことなしに、何か自然の中で作業をすること(それは、土いじりであったり、山登りであったりするかもしれない)が、自然科学へ結びついていて、「こころ」が科学の中で浄化されていく。 そんなイメージを感じる。 「こころ」を科学する、ということは、科学が「こころ」にとって薬になりえることをひとつひとつ解明できることでもあるとも思う。 理系が得意ではない自分は、内省的な部分を重視して(重視させられて)生きてきた人間である。 例えば、「こころ」は自分次第でなんとでもなる自分の持ち物だ。 だから、「こころ」が弱るのは自分が悪い、など。 でも頭で考えてどうにかなるなら、「こころ」は、自分という個体だけで解決できるしろものになってしまう。 そこに科学なんていらなくなる。 社会に住んでいる自分も、無人島に住んでいる自分も同じになってしまう。 ちっぽけな人間にさえなれない。 誰も、精神的ストレスも抱えることはないかもしれない。 人間は、相互作用によって生かされているということを、この短編作品のひとつひとつからから再度教えられたような気がした。 そして、ストレスを抱えて生きているすべての人に、そんなちっぽけな世界で生きないでな、と暖かく見守り声かけしてくれている。 そんな温かい眼差しの心地よさを感じさせてくれる作品である。