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2024.04.23
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曰く、

「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現し、日月星辰の上にも其の全眞を圓成して、更に缺くる處がない。心經にも不增不減と説いてある如く、此の至道の本體は、佛にありても增さず、衆生に在りても減ぜず」であるから「聖を越え、凡を超ゆ」とこの垂示は説いているのである。

柳は緑、花は紅だなどと大雑把なことをいって悟ったつもりでいる人もあるらしいが、そんなことでは實は何ごとも悟っていないのである。

百草は百草なりに各々異なる個性ある色彩や形相をあらはしているが、その雑草の一つ一つに宇宙大生命の當體たる涅槃妙心が輝いているのである。

涅槃妙心とはそんな“緑”と“紅”とに分類してわかったつもりでいられるやうな、そんな概括的なものではないのである。

無限の時間と無限の空間とのことごとく異なる時點に於て、平等にそこに晋遍く増すことなく充ち満ちて居ながらも、時點の異る毎に、

それぞれ異なる色彩のある光明を放つところの露滴のやうに生きて輝いているのが、盡天盡地に滿つる至道であり、佛性であるのである。

『碧眼巖録解釋』谷口雅春先生 著 引用

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柳は緑、花は紅だなどと大雑把なことをいって悟ったつもりでいる人もあるらしいが、そんなことでは實は何ごとも悟っていないのである。

冷水を浴びた方も居られる?かも。






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最終更新日  2024.04.23 08:34:08
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