テーマ:三国志(542)
カテゴリ:雑記
【64 ~ 68ページ】
「魯潜墓誌」という五胡十六国時代の後趙における石碑に 曹操高陵の位置が記されていたというのは初めて知った。 近年見つかった曹操高陵は位置的な裏付けもあったわけだ。 戟や矛があったから有力となったというだけではなかったのだね。 【69 ~ 86ページ】 曹操高陵の否定論。理由は色々あるね。 曹操常用の戟や矛は名を借りた魔除けの副葬品だとか ”魯潜墓誌”が偽作なんて説もあるんだ。 そこまで言うときりがないんじゃないかなって思うよ。 そういえば曹操常用で思い出したんだけれど 三国志の中の朱霊の記述で「常」を ”つねに” ではなくて ”かつて” と読むという話を聞いた。 もしかして曹操常用の戟や矛も ”つねに用いていた” ではなくて ”かつて用いていた” と読むのかもしれないなんて思ったよ。 結局はどちらでもいいような気もするけれどw 三国志の考古学 出土資料からみた三国志と三国時代 (東方選書 52) [ 関尾史郎 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.10.12 13:15:49
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