カテゴリ:加藤暠伝説
加藤暠伝説2
天才相場師の記憶(1) 今から40年くらい昔、 そう、昭和50年半ばくらいか、 東京兜町に、 加藤暠、 という名の、若い天才相場師がいた。 「暠」と書いて、「あきら」と読ませた。 当時ぼくなども在籍していた大手証券4社の独占的な証券市場に、 「証券市場を個人投資家の手に取り戻せ!」 と叛旗を翻し、 「誠備投資顧問室」を立ち上げ、 彼を慕って集まってくる中小証券の歩合外務員や個人投資家たちを糾合して、 宮地鉄工所、安藤建設、ラサ工業などで、 彼独特の天才的な相場を張り、 「兜町の風雲児」と呼ばれた。 加藤暠は、 「株式売買の要諦は「需給関係」だ。」 と、 その本質を見抜いた優れた相場師だった。 これは、別に彼だけがやっていることではなく、 現在の東京証券市場でも、海外ファンドは臆面なくやっているし、 当時の大手証券も、自社の推奨銘柄では同じことをやっていた。 簡単に書くと、 浮動株を自分たちで買い占めて、売り圧力を軽くさせ、 品薄状態になったところを、さらに買いあがって値を飛ばさせる、 という方法なのだが、 加藤暠は、それを巧みな売買手法にまで昇華させた相場師だった。 売る株券がなければ、空売りするしかない。 「これは今に下がる。」と思った投資家たちから大量の空売りを誘いこむ彼独特の手法、 そこに、彼の天才性があった。 その時の彼の仕手戦のメイン銘柄は、 宮地鉄工所で、 130円台から、上げたり下げたりを繰り返して、大量の空売りを誘い、 逆日歩をつかせるまでの品薄状態にして、 青ざめた売り方の買い戻しを誘う「踏み上げ相場」となって、 たしか、 当時日本一の株価だったソニーの株価を抜くか抜かないかのところ(3000円近辺)まで行ったはずだ。 ぼくたちは、 当時の大手証券が、 どんなに一般個人投資家を「雑魚(ざこ)」扱いして、 金融法人や一流企業偏重の経営をやっているのかを知っていたので、 加藤嵩の主張は正鵠を得ているな。と理解し、 彼の銘柄に相乗りしたものだった。 と軽く書いても、 今の若い庶民投資家たちには、何のことやらさっぱりわからないだろうから、 少し丁寧に書くと、 例えば、 ある日の夕方、 大手証券の支店に、 「明日朝、寄り付きで、日立を1万株買え。」 という指令が来る。 大体、どこの証券会社でも、全国の支店を合わせると100店舗くらいはある。 つまり、明日の寄り付きで、日立を100万株、指定した値で買え。という指令だ。 支店には、10人くらいの社員はいるから、 一人が1000株、日立を買わなくてはならない。 しかも、 本店からの指令は、今日の引け値よりも3円くらい値で買え。という指令だから、 全国の証券マンたちは、その買い注文を出すために、お客にオファの電話をしまくる。 そして、 翌朝が来て、 その値段で日立が買えた途端に、 日立の株価は、3円ほど下落する。 これを、当時の大手証券では、「法人作業」と呼び、 日常化していた。 つまり、 どこかの銀行の益出し売却のために、個人投資家が使われていたわけで、 「1000株で、3円や5円損したからって、どうってことないだろう。」 という、個人投資家軽視の営業姿勢だった。 そんな売買をやらされる個人投資家が、儲かるはずがない。 大手証券の個人客たちが、加藤嵩の元に走ったのは当然すぎることだった。 当時、36~7歳の彼は、 「熱い理想の相場師」だった。 と、ぼくは理解している。 誰に確認のしようもないけれど、 そうだった。と理解している。 加藤暠の元に大勢の個人投資家が集まったが、 それまでの証券行政の秩序を破壊しようとする加藤暠を、 これもまた、当然のごとく、 大手証券と大蔵省証券局は、激しく憎んだ。 宮地鉄工所が、1800円くらいにまで上昇した時だったか、 ある日、新聞に、 宮地鉄工所の仕手戦に敗けて自殺した男の記事が出た。 その男は、宮地鉄工所に空売りをかけて、敗れ、 金が回らなくなって自殺した。 ということだった。 確か、野村證券の顧客だったように記憶しているが、定かではない。 株を知っている僕たちにしてみれば、 あんな仕手株に空売りをかけた方が素人の馬鹿で、 「何を考えているんだ?!」 としか思えない事件だったが、 何故か、 大手新聞は、それを重大事のように取り上げ、 加藤暠の相場は、投機的な相場である。と断じはじめ、 とうとう、「加藤暠悪人説」まで繰り広げた。 そして、 まだ宮地鉄工所相場が途上のある日、 加藤暠は、 突然に、 出資法違反かなにかの、別件で逮捕され、 その報が兜町を稲妻のように走るやいなや、 宮地鉄工所だけでなく、 彼が手掛けていた銘柄群は、ことごとくストップ安の売り気配となり、 相場は無残に崩れた。 「誠備ブーム」の終焉の瞬間だった。 ぼくは、この時、 加藤暠の<無念>を思った。 相場師が相場で敗けるのならば、諦めもつこうが、 仕手戦の途上で、 官憲が出てきて、 どうでもいいようなションベン刑で相場を台無しにされる。 「どんなに無念だろうか…。」 と思った。 結局、 数年後に、その裁判で、加藤暠は、実質無罪を勝ち取るが、 裁判に勝ったからといって、敗けた相場が戻ってくるわけではない。 しかも、 彼は、まるでダーティな相場師であるかのように世間から見られ、 それ以後、 表舞台から、姿を消す。 2015-11-08 16:25:20記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2021.06.20 10:48:05
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