シュタイナーから読み解く神秘学入門

2005/11/25(金)13:22

ピタゴラスは卵と鶏どちらが先だといったか

神秘体験空間(2120)

 卵と鶏、どちらが先に誕生したのか?という論争がある。これをいいかえると、進化と退化どちらが本質か?という論争にも還元できるだろう。  卵から鶏になるのが進化だとすると、時間を逆に辿れば、鶏が卵に収縮されるので、鶏が卵を産む現象は一種の退化と捉えることができるわけである。  神秘学によると、この世の現象は全て、この進化と退化が折り重なったものと捉えることができる。易経では、陽と陰からはじめ、六十四あまりの掛(陽と陰で組み合わされた印)で、現象を表現する。  易経からきている有名な干支は、易が民間に伝承し、唯物的な統計学に堕落した名残りだと考えられる。アインシュタインが「神はサイコロを振り給わず」といって、確率解釈を用いた量子力学を批判したが、まさしく神々の世界に確率の概念はなく、必然の世界なのである。  人間は、悪魔とともに暮らし、神々から離れ、自由を得たから、必然ではなくなったともいえる。唯物的に統計学が使える自由を得、確率という必然から、不確かな嘘か真かの数学を使える自由な身になった。  数学は証明論だと思っている人が多いが、証明できるということは、嘘でもあるという自由があるから証明できるのだ! 嘘から真実を導き出すということは、数学自体が嘘を含むからであるともいえるだろう。  それというのも、この世の現象には必ず、上の進化と退化のような二元論があるからなのである。善と悪、真と嘘、プラスとマイナス、男と女、引力と斥力、なにより人間は「私」と違う周囲があるからこそ、「私」と認識できるのである。この私の存在は、他により支えられ、同時にあるわけである。  面白い話がある。ある寺の前で、2人の見習い坊主が掃除をしていたら、寺の前にある旗が揺れた。それをみて1人の見習い坊主が、「いま旗が揺れた」といったら、もう1人の見習い坊主が、「いや、風が吹いたから、旗が揺れたんだ」と言い返した。はじめの1人の方は負けずに、「旗が揺れたから風が吹いたんだ」とまた言い返した。そのうちにどちらも譲らずに平行線で論争は続いた。旗起因説と風起因説の論争である。  とどのつまり、現象の二元性のことである。これをピタゴラスは2という数で象徴させた。2は現象の数である。神秘学的には、1は神の数なので、2は開示の数という。  さて、その2人の見習い坊主の論争中に、ある高名な坊主が通りかかった。その2人の坊主は、その高名な坊主に、その論争を持ち込んだ。そうするとその高名な坊主は、「あなたがたの心が揺れただけじゃ」といって、2人の仲を諌めたという。  これを、恐らく、ピタゴラスは3の数として表すだろう。神秘学では、3は、二元性の2の背後にある神の存在の1を足して、2+1=3とするのである。つまり3は、現象を超越した調整役及び統合役の創造の源を表す。  進化と退化の間にある現象(関係)をみて、新たなる思考が生まれ、無からの創造を行うのである。  ピタゴラスならば、卵と鶏の問題を2として、それに神の1を足して、3とするだろう。卵も鶏も先ではない、神(卵と鶏のライフサイクルを思い描く存在)こそが先であり、神は、2の現象をみて、思考を発する、そこから無の創造がはじまるのだ!とするだろう。 

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