夢みる頃が過ぎても、一人空を見ていたい・・・
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~一人生きる~ わたしは今生きている ここにいる 今も、あの頃のように、 頬杖をついて 夢をみる。 愛したり、 信じたり、 傷つく日もあれば、 傷つける時だってあるものだ、 生きているんだから 泣いたり、 笑ったり、 怒ったり、 けれど、 赦したり、 赦されたりもするものさ。 人生は、 同じことの繰り返しのようでも、 今日の私は、 もう昨日の私ではない。 ××××× 夜の道、歩いた。 ひとり、 一歩、一歩、、 すれちがう車のヘッドライトが私を照らす。 でも、私を見つけられない。 真珠の首飾りのように車のライトが流ても、 誰も私を見つけられない。 夜の帳はしっかりと一人の命を包み込み、 まるで、この世界が 一人しか生きていないかのように思わせている。 2020年1月16日に、、
2020.01.17
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2020.01.11
6月5日(火) 長崎は梅雨入りしたのカナ~? 朝、小雨が降る中、海辺の散歩道を歩いた。 歩きながら考えた。 「もしかすると、苦しみも神さまが一人一人の魂の糧として、 その人にピッタリの困難や行き詰まりを造られたのかもしれない」 と。 私にピッタリの困難が前方に待ち受けている。 誰がこんなにも私にピッタリな困難を創造することができるだろうか。 今朝は、なぜか起こってくる困難さえも、 絶妙な神さまからの贈り物に思えた。 ▼ 午後も、 雨、雨、雨、、、 ラジオのカーステレオからは、ショパンのノクターン、 小鳥たちの声も遠のき、 まだ夜でもないのに うっすらと闇と静寂。 6月の長崎
2018.06.05
私は、現在、学童保育に週1、3時間ほど携らせていただいているのだが、今日は、嬉しいことが一つ。とあることから、小2のSに、わたしは、ズーートいじめられていた。それは、あまり具体的に書きたくないので書きませんが、ともかく、それは、困り果てていたと言っても、言い過ぎではない。(Sの言葉で私の評判はがた落ちしたことは否めない)そのSが、今日は、いつの間にか側にきて、洗ったタオルをきれいに干してくれたんダ!!ただそれだけのことだけど、わたしは、ともかく嬉しくて仕方がなく、天にも昇る気持ちだった。それから、こんなことも、、、私は60をはるかに越えて学童保育のパートをしているが、子どもたちには、どうみてもおばあさん。小2の女の子たちが寄ってきて、私に、「おばさん」と、言ったので、「イエ、おばあさんよ」と答えた。子どもの方がびっくりして、「おばあさん」と、面白がって言ったので、「バ~バンよ、」と言ったところ、「バアば、バアバ」とさかんに言い始めたので、「バー―バンよ」と、言うと、逆に「はらがたたないの」と、聞かれたので、「全然」と笑いながら答えると、彼らは拍子抜けしたようだった。ところが、残り組のRが「オババ」と言って私にさかんに言ったので、責任をもっている先生たちが「オババと言っては駄目です」と注意した。そこで、恐縮しながら、「私がおばあさんでバーバンよ」と言ったものだから・・」と、言うと、彼女は「おばあさん」と言いなおし、「それならいいです」と言われたが、私は「オババの方が面白いな」と思った。この学童保育は、自分で時間帯の希望がだせるので、私は木曜の午後の数時間だけ行かせていただいているのだが、私をいじめるsちゃんとSくんがいる木曜を選択してしまったのだが、私は、今日、しみじみと、木曜の午後から逃げて、都合の良い火曜にしなくて良かったと思った。今後、彼らと、どのような関係を構築できるか、チャレンジ精神が鼓舞される。私とすれば、子どもたちが、話かけてくれる大人でありたいし、わたしも、必要時に語りかけることができる大人になりたい。Sちゃんのために、最近祈りはじめていたのだが、神さまがその祈りに聞いてくださっていると思えた。そこで、実は、私はホントは「バーバン」と呼んでもらいたかったのだが、「オババ」になり、では「オババ」がだめなら、子どもは次に私をナント言うのだろう?「おばあさん」では、あまりに平凡すぎる。神さまにこれもまた、お祈りしてみようと思う。ちなみに、普通は一般的に「先生」と呼ばれてはいるのですが、ここでは、先生よりも、バアバの方が家庭的でいいような気がしないでもありません。◇子どもたちは、図書館で本を読むこともできる環境にある。図書館で子どもたちを見ていると、ひとりの子どもが「先生も本を読んだら」と言ったので、「はだしのゲン」をだしてきると、さかんに、その漫画の内容を聞くので、原爆について、いろいろと話した。わかってか、わからなくてか、そこにいる子どもたちが数名一番高いところにある「はだしのゲン」を取り出してきて読み始めた。大人が子どもに与える影響は小さくないと思う。
2018.05.17
現在もしも、手術になった場合いを想定して、仕事関連などの備えをしている。周りの人たちは暖かくこの状況を見守っていてくださり、一人者の私のために、同僚の2人から手術に立ち会いを申し出てくださった。ありがたくて、涙が出そうだった。昨日は、教師会でこのことを申し上げたところ、平素、温かい場ではあるが、さらに愛の空気が濃厚になり、ここでも、涙を抑えるのに困った。良性の可能性が大ですから、と、申し上げても、「私の知り合いに、そういわれていたにも関わらず、結局は、、、」と、言われる方もいて、多大なご心配をおかけしてしまったようだ、と思ったが、昨日から今日にかけても、祈りの霊に包まれていることは否めない。生れた土地から遠く離れたこの土地で60を超えて、家族もいない私にとって、こうした、一つ一つの愛の行為が嬉しく、感謝でならず、その暖かい思いやりにみちた言葉だけでも癒される気がするが、この真実な愛の祈りに、主が癒されないことがあるのだろうか、と思ってしまう。
2018.05.16
自分が「癌」の告知を受けて、今更のように、病と闘っておられる方々の気持ちに少し近づけたような気が致します。単身者の私にとって、手術の時、誰に付き添っていただけるか?これは、大きな課題でした。そこで、このブログをご覧になっておられる方で、もし、これから単身手術を受けようとしている方はおられませんか?付き添う人を必要とされている方がおられましたら、ご相談にのることができます。私は、看護士ではありませんので、看護はできません。また、保証人にもなれません。ただ、手術の時、家族の変わりに待機していてさしあげることはできるだろうと思ったのです。今回、自分の手術を考えた時、家族は遠方で、しかも高齢であるため、家族の付き添うは難しいと思いました。同様の課題を抱いておられる方がおられるような気がしたのです。仕事の都合で、土、日は無理ですが、少し遠方でも、飛行機、新幹線が使えるならば大丈夫です。その際、申し訳ないのですが、交通費はご用意願います。連絡は、携帯 08063319122 通称「めぐみ」までお願いします。
2018.05.10
今日、再度、肺の腫瘍についての全容を知るべく、気管支内科を訪ねた。先回からお世話になっている医師は、名実ともにのこの道の名医で、予約なしに突然の受信の者への受けいれは厳しく、9時の診察15分前に行ったにも関わらず、予約の人が先なので、「あなたの診察は早くても11時まで無理です」と、言われた。午後からは予定が入っているので、そんなゆとりはない。たまたま、その病院の知り合いの看護士の方と挨拶をしているところを、その名医が通られ、看護士があえて、その医師とご挨拶する時を備えてくださったからか、気管支内科の待合場所に帰ると、先ほどまで、難しい対応をしていた看護士は、程よく柔和な面持ちで、30分ほどすれば、名医は見てくださると、告げられてた。診療の時がきて、主に、私は手術前の検査について聞いた。放射線のCT検査は7月23日まで受けられなくても、早急に内視鏡などの検査で、癌を見極めて、8月の手術よりも早めの手術になれないものかと尋ねると、名医が言われるには、5ミリの癌では、内視鏡では見極められず、今の時点では、CT検査を待つしかないこと。そして、良性である可能性の高いと。その時、私は、良性であっても「癌」は「癌」であることを初めて知った。「癌」であることを告げられた時、私は手術から、遠い向こうに潜む死の可能性まで意識していたが、今日の医師のことばで、またまた、新しい意識(心境)の世界へと導かれていった。
2018.05.09
一人の時間を充実して過ごせるのは、その人の内面の充実さを表しているのかもしれない。けれど、一人の時間を楽しむ人が、必ずしも、友人と過ごす時間を楽しめるわけではないと思う。一人の友人を得て、満足な交わりをもっている人が、必ずしも、複数の人たちとの交わりを楽しめると、言うわけでもなく、外側に表された”良識”ある人と人との関係の中で、マナーの良い人が、必ずしも、内側に良き思いを抱いているというわけでもなく、人間関係の微妙さに、チョット、考えてしまうナ~・・そういう私こそ、人間関係べたと、思う。
2018.05.06
2018年5月5日(土)パソコンで、肺がんについていろいろと調べていたら、とうとう眠れなくて、仕事まで手をつけてしまった。それでも、朝方、少し眠ったようだけど、午前中は、ともかく眠たかった。7月にするCTでは、どうやら、造影剤を投入してのCTスキャンになるようだ。少し、こわいけど、神さまが見守っていてくださるという確信が強い。ヤッパリ、私は癌なんだ、と、改めて思った。
2018.05.05
まるで、ウソのようにしか思えない。私が癌になるなんて!2018年4月23日(月)37度の熱が一週間ほど続き、咳がひどくなる一方なので、呼吸器内科を受診した。熱と咳は、扁桃腺炎から来ているものらしく、医師は、「扁桃腺が治れば、熱もひくでしょう」と言われ、咳と熱以上に、1月の健康診断で、肺に影が映っていたことの方を重要視され、再度、レントゲンを撮ることになった。1月のCTスキャンの結果と共に、映像は再度検証され、医師は、「恐らく、癌の可能性が強いでしょう。0,5ミリほどですね、」と、言われた。7月23日(月)再度CTスキャンを受け、なくなっていなければ、日赤でさらに詳しく検査され、8月には手術になるだろう方向性が示された。まだ、小さいので、3か所に穴をあけ、テレビの画面のようなものに映し出される映像を見ながら腫瘍をとるのだそうだ。今は、お食事をきちんとすること、だ、そうだ。聞くことに於いては、簡単そうには思えるが、、、
2018.05.04
とうとう23日が終わり、いよいよ明日はクリスマスイブです。午後からのキャロリング、25日のキャンドルサービス。もっともっと、ワクワクしたいのに、メッセージは?ローソクの準備は?・・・などといったことばかり考えていて、一番大切な救い主がおられない。クリスマスの本当の意味をもっと、真実に追及したい。もっと、神様を感じていたい。
2016.12.23
さて、ソロソロ、クリスマスも本番を迎えようとしている。このブログを訪れてくださったあなたは、だれと、クリスマスを迎えられるのでしょう。私は、と言えば、25日の夕刻から小さな旅に出て、ホテルの一室で一人静かに救い主のご降誕をお祝いしていようと考えている。・・・と、夢見るものの、実際は、温泉に入って、一切の疲れを拭い去って、テレビなど見ながら、ダラー――と、眠りこけてしまっているのかもしれません。とかく、理想と現実は違っているものです。
2016.12.22
若い頃、少し、あこがれていた人が言った。「僕は、寒い夜に紅茶を飲むのが好きなんだ!」その時、私は心の中で、「ナンてステキなんだろう」と、思った。・・それから、かなりの年月が過ぎてゆき、私たちはスッカリ初老を迎え,夫々の道を歩んでいる.「しかし、あの時、夜お紅茶を飲み、 夜、眠れたのだろうか?」「もしかして、夜のお紅茶はチョットまずかない??」と、過ぎ去った過去を振り返りつつ、今、私は冬の夜長、一人アールグレーの香に包まれて満足している。「今晩眠れるかしら・・・??」と、思いつつ。
2016.12.09
また、プリンターの調子が良くない。・・・毎年、パソコンかプリンターか、どちらかを買い替えているような気がしてくる。年末のお金がない時に限って、そうなんだ、、、神さま、どうしょう??チョット、泣きたい気持ちです。
2016.12.08
何もしたくない、一人っきりの休日。ただ、ホッカカーペットに転がっていた。
2016.12.05
「人は、自分の都合で判断し、 嫌いになり、切り捨てる。」と、書いてあった。
2016.12.02
やっと、秋の疲れが引けてゆく。今日は、久しぶりに6時からのお祈り会をもって。ここ数週間、お祈りは8時から10時ごろの間にもっていたが、学生のころからの習慣で、6時からのデボーションはとてもここち良い。ス――と、疲れから解放され、新しくされていっている自分がそこにあった。
2016.11.30
今日は起きるのがしんどかった。服を着替え、食事をとるが、一向に疲れは抜けない。天候快晴、なれど、体、重石の如し。
2016.11.22
雨の日も私はひとり、、、
2016.11.18