「遠い昔のこと」 ウイーン旅行・WSKの昔話.ウィーンに関する事等⋯。
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プロフィール
Yuichann
人生100年時代、昔ウイーンを中心に旅行した思い出話を2019年5月から書いていますが、今までのブログサービスが2023年に終わると聞き約3年前のブログと共に此方へお引越ししてきました。慣れるまで上手くできませんがよろしくお願いします。 最近コロナ禍でヨーロッパへは行けず旅行記より昔の少女雑誌に載っていたWSKのお話や現地にいらっしゃる日本人の方からのお話が主になってしまっています。昔に想いを馳せているold fanの私です宜しくお願いします。
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少年合唱団時代のクレメンス・クラウス ウインナーワルツ⋯ウイーンフィルの演奏(クレメンス・クラウスが亡くなる一年前とか?) 昔のヨハンシュトラウス像 🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶 「合唱界・7月号」(1950年代) (フェルディナンド・グロスマン) 『思うこと』 私の東洋に行きたいという長年の希望が、今回 武蔵野音楽大学から招聘された事で実現し大変嬉しく思っております。東洋に来ることについては、日本は勿論それらの国々の文化、芸術を知ることが大きな楽しみでした。 西洋では昨今電子音楽その他 新しい試みがお行われております。今回の滞在は短い期間ですが、西洋音楽の古い伝統をお伝えすることに主力を尽くしたいと思います。 もちろん日本における古い文学、美術、音楽の伝統は数多くありますが、西洋音楽の歴史は大変浅いものです。しかし其れにもかかわらず、日本において西洋音楽が発達したテンポの早さにには驚くべきものがあります。 日本の合唱団を聴いて感じたことは、第一に発声の訓練、第二に耳の訓練が不足していることです。 音楽を勉強されている日本の皆さんは、、注意された事に対し、すぐになおそうと努力し、またすぐなおります。音楽性は多分にあるのですが、訓練の方法に悪いところがあるのです。 また、日本の皆さんが古典から現代までの音楽を熱心に研究している事に非常に興味をおぼえました。 日本の音楽界は、世界の音楽界をよく知って努力しており、私には現在あるいは将来の発展がよくわかるような気がします。 私はいつかまた日本に来れる事を希望すると共に、その音楽界の発展を心から楽しみにしております。 (ウイーン少年合唱団総裁) 1939年から6年間ウイーン少年合唱団の指揮者。 1956年 再びウイーン少年合唱団指揮者。1967年にウイーン少年合唱団指揮者を退任。 1959年より武蔵野音楽大学客員教授を務め定期的に来日。 1970年83歳で没する 💕♪💕♪ 1959年来日組マイヤー隊のコンサートについての記事 (当時の文章表現そのまま) この隊はハードスケジュールの中 日本で映画「いつか来た道」に出演。 映画撮影の時に実際に歌って行進したそうです。撮影を遠くから観ていた方の感想⋯「とても素敵な歌声」(その方は少年達全員からサインをして頂いたそうです。) 月刊誌の記事を見つけましたました。(1959年当時) 『ウイーン少年合唱団を聴いて』 我が国の児童発声のあり方など 3月27日午後東京宝塚劇場(今では信じられない、有楽町にある宝塚劇場か?宝塚歌劇を見に行ったことが有る)この美しい楽しい合唱をいろいろな意味で期待して聴いた。曲目はまず 宗教曲、中には若い現代作家ハイラーとかシスケの作品も見える。これらは現代音楽といっても隠健な作品で、特別な音の難しさもないが、それにしても少年達の勘の良いアンサンブルは、その声の出し方や音感の良さと共に立派な伝統を感せしめる。 続いて衣裳付きの小さなオペレッタがあって一人ひとりの発声法の傾向が良く解り、これは大いに参考になった。最後に二つのソロや日本の歌の合唱やもまじえた小品を歌った。 今回の指揮者は前回の人よりずっと年配らしく、それだけ経験が多いためか丁寧で、しかも非常に音楽的で有る。よほど歌心の有る人であろう。フレーズや息継ぎの取り扱い方も妥当で、少年達も歌いよいよう見受けられ、したがって声の出し方ものびのびして軟らかく、リズミカルな早い曲でも、前回のように走ってテンポを崩すようなこともなく、良く抑制されていて気持ちがよかった。伴奏も上手で、いつもMezza voceで弾き、いささかも合唱を妨げることもなかった。合唱の指導者はこういう種類の音楽性の有る人が最も良いと見受けられた。 今回の少年達の中には、前回のような特に輝かしい声を持っている、いわゆるスター的存在の者がいない。それだけ一面アンサンブルとしては良い結果をもたらす原因とも言えるので有るが、その良い原因として今一つ挙げられると思うことは、中音域以上(一点イ音位から上方)のいわゆる頭声発声のフォームが(型)良いということで有る。発声時の基本的な自然の型を崩すまいという努力が無意識の中で守られているのであろう。周囲の環境から受けた良い声、正しい声に対する憧憬ともいうべき気持ちが声を自然にコントロールしているのかもしれない。これは指導者の声に対する気遣いの現れか、あるいは歌声に対する伝統の現れか、結果として少年らしい声の美しさを失わずに音質が軟らかくなり、頭声と胸声の連絡も比較的スムーズになって正しいビブラートさえ生じ、良い声の調和をもたらす。
私は、彼らのアンサンブルの見事さにおけるよりも、ここに音楽や歌声の伝統の尊さと偉大さを感じる。音楽先進国であることに羨望を感じる。これは一朝一夕にして出来ることでは無い。我が国の男女児童の発声法もここに注目しなければ本質的な進歩をもたらさないと思う。 中音域(一点ト音、変イ音位)以下、いわゆる胸声区域には私は今回も疑問を感じた。声の伝統があって、フォーム(型)が自然に守られているから、音程の崩れは多くないが、何といっても子どもである。胸声のコントロールが行き届かず生硬である。胸声を使うことは当然であり中音部以下において正しい型のもとに使われることは少しも差し支えないが、この合唱においては少なくとも下二部はほとんど胸声のみである。子どもの肉体的な能力を超えることには私は不安を感じる。たまさかな合唱ならば休息によって回復もしよう。また常に頭声区域と共に連絡させて使うのであればコントロールもしやすく、したがって疲れも少ない。しかしこのような無理な日程で、乗り物よる疲労も考慮しての演奏旅行では、少なくとも子どもの声の素質に良い影響を与えるものでは無いと思う。発声器官にそれほど決定的な障害を与えないにしても、知らず知らずの中に大人になってからの声に、その良い素質を失うのではないかと恐れる。 当時の記事を読むとなるほど⋯と思うことが多々あります。今では一応教育課程に載っている指導方法です。 (ウイーン少年合唱団が一応お手本になっています。グロスマン先生の教え子達も発声法、歌い方を日本中に広めたのでしょうね?) 映画「いつか来た道」最後の方のコンサート場面 ハードスケジュールお疲れ様でした❣️ 🎶♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬🎶 61年来日組が出演 映画「青きドナウ」から 成長したションスカーリー 当時の少女雑誌から。