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カテゴリ:弟
連休明けから頑張っていた弟。
3週間ぶっ通してがんばり、我慢の限界、パニックを起こしてしまった。 見ている方も、対応する方もつらいが、一番本人がつらい。 数日前から、何かとミスが増えては反省し、ここ2,3日は、自分から謝罪文を書いて来た。 だんだん記憶が混ざって、すごく昔の失敗まで思い出しての謝罪文。 もう、解決したから大丈夫と納得していたが、だんだん、想像した失敗まで謝まるようになっていた。 疲れているのだ。 大人も、疲れがたまるとミスの連発。 そろそろまずいぞ、と自分で気をつけて休むようにすればいいけれど、そうできないのが弟である。 障害がある弟だが、よくなりたいと努力し、パニックの後も失敗の多きさに落ち込むのだ。 難しいことはわかりにくくても、気持ちや人との関係はよくわかっている。 むしろ、そちらがとても敏感によくわかるから、こんな風に頑張りすぎてくたびれるのだろう。 一人一人の容量は違うのだが、体調によっても変化する入れ物は、不安定だとちょっと傾けてもこぼれてしまう。大きな入れ物がどっしりしている人を、私もうらやましいと思う一方で、どっしりしすぎてものすごく頑丈なタンクに同じ水が入っていても、底の方でちゃぷちゃぷするだけで、かえって感度を鈍くすることだってあるだろう。 自分で感じることに限界があるのなら、精密なセンサーをつけて、危険ブザーを鳴らせばいいけれど、人間の内面はすぐに数字で見ることができない。 行動に現れるころには、心のタンクはもう一杯なのだ。 では、周りのセンサーはどうなっている?の点検も必要だ。 周囲の環境が自分にとって快適ならば、過ごしやすく悩みも減る。 そうはいっても、いつも快適な場所しか知らなければ世界が狭くなる。 楽しいことやわくわくすることで満ち、しかし危険も同じようにそこここにある社会と安全かつ充実して折り合いをつけていくのはそうたやすいことではない。 それでも、異なる考え方をする人とも、可能な限り共通見出しながら、 理解と協力をお願いしていくしかないのが弱者でもある。 弱者であるというだけで、説得されたり、我慢ばかりしたり、 数が多いというだけで多数派の意見が正解になる空間では呼吸さえ苦しくなる。 様々な入れ物で容量も異なる私達。 その入れ物の底の方に、小さく光るいのちの光を一つずつ持っていることを想像しながら今日の調子を見つめていくことにしよう。 弟、がんばれ。 じゃなくて、むりしないことをがんばれ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.05.26 08:24:17
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